日本の歴史のなかにプロレタリア文学運動があったことは、明治維新に解決し残した沢山の社会的・文化的の矛盾をはじめて近代社会科学の光のもとに、整理し解決しようとしたことであった。婦人と社会・文学の問題を、全人民の半分である女の幸福、創造力の発展としてとりあげた。この時代に新しい素質の婦人作家があらわれはじめた。今日作品を書いている佐多稲子、平林たい子、松田解子、壺井栄など。これらの婦人作家は、それまでの婦人作家とちがって、貧困も、勤労の味も、女としての波瀾も経験した人々であった。そういう人達によって、本当に社会矛盾を認識し、人間として伸びようとする女性の声が文学のなかへ現われはじめた。
 プロレタリア文学運動が順調に発展していたならば、今日、日本の新しい民主主義文学というものも、よほどちがった明るさに照らされたろう。ところが日本の支配階級が、大衆の進歩性を抑圧することは実に烈しく、特に最近の十余年間は、全く軍事目的のために民衆の意志を圧殺しつづけた。プロレタリア文学というものは、結局新しい社会的発展を求めて、半封建的なブルジョア社会の矛盾と桎梏とを、否定する方向をもつから、軍事的な日本の専制支配権力が、それをうけ入れよう筈はない。人民解放のための全運動とともにプロレタリア文学も殺された。女も率直にものをいいはじめた。ほっておけば、考えも、いうことも、行動も大人になる。男につよい影響を与える女の心と言葉、動きをいまのうちにふさごう。手足を押えようと、解放運動とともに、婦人がほんとの自立にすすむことを否定されてしまった。こうして圧殺されてしまった長い年月が一九四五年の八月十五日までつづいたのであった。
 戦時中、少年であり青年であった人々は、どういうふうな生活をして来ただろうか。そのなかには、特攻隊へ連れ出された人もあったろう。徴用でいろいろな職場で働き、学徒動員で、生涯の目標を挫折された人も少くなかった。家を焼かれ、肉親と生活の安定を失った人も沢山あるだろう。めいめいの人生に、深い深い傷を受けて、そうして戦は終った。
 民主的な日本にしなければならないというポツダム宣言を受諾した。日本の人民を解放し、民主社会にしなければならない責任を、いまの政府は世界から負わされている。云わば、その責任の故に存在を許されている。ところが、今日において民主的な文学というものへ、どれだけの若い新しい作家がおくり出されて来ているだろうか。自分は新しい日本とともに生れ出た新しい作家であると、そのように生々として、新しい作品をもたらす人はいたって少い。ここに今日深刻な問題がある。
 今日の二十四五歳から三十代の人々は、男女ともに戦争のなかった時代の日本の青年たちとは、くらべものにならないほど多くの人生の経験をもっている。自分の生命を、一たん否定して闘っても来ている。餓死する人間も見たであろうし、その人たち自身、栄養失調で這って帰って来たかも知れない。何故そこから新しい文学が生れないのだろうか。歴史的な野蛮行為のなかにまきこまれて、苦悩し、ひそかに泣き、人間らしさを恋うた心が一つもなかった、とどうして云えよう。それだのに、何故それを書いた小説は出ないのだろう。これほど愛を破壊された婦人がいるのに、何故その声がほとばしって来ないのだろう。これこそ、きょうの私どもの実に大きな問題であると思う。
 文学が書かれるには、現象の記憶があるばかりでなく、自分がそれをどう見るか、どう考えるか、そこから何を受けとったかという一つの経験に対する複雑な人間的摂取を経なければならない。そこから小説は生れる。もしただ肉体で経験しただけで文学が出来るなら、あんなに苦しい思いをして三度も子供を産んだ婦人はだれでもそれについて立派な小説が書けるはずだとも云えよう。ところが肉体的な経験からだけではどんな小説も出来ない。平和的な人民の一人として、あの戦は本来どういうものであったか。日本の大衆の誰もが戦争の可否について議論し、一票を投じ、決心して参加した戦であったなら、その歴史的意義と個人の運命への影響を反省もし、そこから人間らしい何かをくみとることも可能な経験だったろう。ところがそうではなかった。頭から脳髄をとり、心臓をつぶしてしまって、ただ一つの忍耐という形の中に男も女も干しかためられてしまった。その石にされた心臓、そして脳髄をすりつぶされたような頭に鉄兜をつけて、毒瓦斯マスクをつけ、そしてみんなが運命を賭し、生命を賭した。日本の婦人は、世界の婦人がそれを信じかねるような程度まで自分の愛情さえ主張することが出来なかった。この状態に対してわたしたちはどう抵抗出来ただろうか。権力で戦争に引張り出されるか、さもなければ戦争はいけないという人間として牢屋に引張られた。このなかに云いつくせない惨酷を自
前へ 次へ
全12ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング