女性の教養と新聞
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)迚《とて》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)狙っている面白さ[#「面白さ」に傍点]と
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現実を、その様々な相互関係、矛盾の内外につき入って具体的に理解する実力、そしてそれらの間に在る自身の居り場所とその意味を把握して生きる力を教養であるとして考えて見ると、今日の日本の新聞は、そういう意味では一般に女性の教養を高める役には大して立っていないのではないかと思う。全体的に見て、今日の新聞そのものの性質が、明治初年の天下の公器としての自由性を失われているのであるから、現象的にニュースの断片を注ぎ込まれ、物価騰貴とその末葉のやりくりを知らされても、事象の本源までは新聞では迚《とて》も分らなくなって来ている。
婦人欄の扱いかたなどは、近頃各紙とも相当苦心の跡が見える。写真の使い方、見出しのつけ方等、時に溌剌とした印象を与えるが、概して記事の範囲、深さは婦人雑誌から遠くも広くもなり難いらしい。昔、婦人欄は主として婦人記者であったけれども、この頃はそういうことが減って
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