大体は男の記者でやられている。婦人欄などの狙っている面白さ[#「面白さ」に傍点]とそのこととの間に、なにか微妙な関係のあることが感じられるのである。
『読売新聞』夕刊につく重宝欄は、おそらく大抵の女のひとに一応は読まれているであろう。だがああいうものは、教養とは凡そ反対の社会相を反映するものだと思う。今日の世の中で、体裁よい小市民生活をやりくってゆくためには、家庭の女がどんなせっぱつまった事情の裡に追いこまれて来ているか、また、女が真の生活力としての教養を身につける機会がいかに少く困難であるかという社会的条件を語っている。
 身の上相談では、わが身の上の苦しさを訴える女のひとの立場と、それに解答を与える女のひと達の立場とが、相対的に今日おかれている日本の女の社会性の内容、水準等を、おのずから読者の前に披瀝しているのである。読物として各紙が飽きずそれを掲載している理由も、そういうところにあるのだろう。けれども、読者として私たちは屡々《しばしば》疑問を感じることがある。何故なら、身の上相談の答えというものの十中八九は、率直に云ってお座なりである。解決らしい解決、説明らしい説明は極めて少い。
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