のを云うとなれば意地わるのようでもあるが、それでも私には何だかこの若いひとの一語とそれの云われた態度とはつよい感銘であった。その人たちの帰ったあとも、自然いろいろ考えられた。
 私たちの生きている心持って、あんなに血の気のうすい、うすら寒いようなものなのだろうか。その映画のなかでよかったら、やはりその俳優の名前もひときわ心に刻まれて、別の作品のなかで同じひとが今度はどんな演技をしているか、それがみたい心持がするのが自然ではないだろうか。あのひとは、これまで一遍も、誰が面白い、誰が好きと友達の間で話しあったことはないのだろうか。あれが面白かったんだから、それでもういいのよ。と云って暮しているのだろうか。
 もしかしたら、一応は高い教育をうけたわけであるその人に、誰がお好き? というような問いかたが、大変子供ぽくうけられたのかもしれないと思う。誰が好き、あれが好き、という表現を、街の娘さんたちが、あらいいわねえ、その声に抑揚をつけて口走る、そのようなものとして感じて、その感情の程度はのりこしたものとして、ああいう答えをしたのかも知れないとも思われる。あり来りの返事をしたってはじまらない。そ
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