女の歴史
――そこにある判断と責任の姿――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)一語《ひとこと》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)自分にはっきり、よさ[#「よさ」に傍点]を感じる
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 数人の若い女のひとたちが円く座って喋っている。いろんな話の末、映画のことになって、ひとりの人に、あなたは誰がお好き? ときいた。そのひとは房々と長く美しく波うたせてある髪を瀟洒な鼠色スーツの肩で一寸揺って、さあ、と口ごもっている。きまりわるいのかしらと思って、私は自分からロゼエの名などあげて、あなたは? ともう一遍云ったら、そのひとはいかにも生活から遠くのことでも云っている調子で、その映画のなかでさえよかったらそれでいいんじゃないでしょうか、と感情のない声で答えた。
 あら、だって、その映画のなかでよければ、やっぱり好きとも云えるのじゃないの。勿論、映画の中でのことよ、好きと云ったってきらいと云ったって。
 そのひとはまた美しい髪をゆするようにして軽い笑を口辺に浮べて黙っている。
 偶然話の合間に云われた一語《ひとこと》に執してものを云うとなれば意地わるのようでもあるが、それでも私には何だかこの若いひとの一語とそれの云われた態度とはつよい感銘であった。その人たちの帰ったあとも、自然いろいろ考えられた。
 私たちの生きている心持って、あんなに血の気のうすい、うすら寒いようなものなのだろうか。その映画のなかでよかったら、やはりその俳優の名前もひときわ心に刻まれて、別の作品のなかで同じひとが今度はどんな演技をしているか、それがみたい心持がするのが自然ではないだろうか。あのひとは、これまで一遍も、誰が面白い、誰が好きと友達の間で話しあったことはないのだろうか。あれが面白かったんだから、それでもういいのよ。と云って暮しているのだろうか。
 もしかしたら、一応は高い教育をうけたわけであるその人に、誰がお好き? というような問いかたが、大変子供ぽくうけられたのかもしれないと思う。誰が好き、あれが好き、という表現を、街の娘さんたちが、あらいいわねえ、その声に抑揚をつけて口走る、そのようなものとして感じて、その感情の程度はのりこしたものとして、ああいう答えをしたのかも知れないとも思われる。あり来りの返事をしたってはじまらない。そういう才覚もあるひととも思える。
 それならそれとして、やっぱりあれは私たちを考えさせる一ことであった。あのひとが、その映画のなかでよかったらそれでいい、と好きという表現をそらした心理をさぐってみれば、好きという内容は、どこかでその映画のなかでの芸術的味いにあふれた、俳優の体にくっついたものとして感じられている証拠であったと思う。もし、私たちが云う意味での好きというのが芸術に表現されている世界でのことというはっきりした目安がなかに立てられていれば、全くあけすけに、あああのひとは好きだ、あれはやりきれないと云いきれると思う。この場合、相手が女にしろ男にしろ、こちらの感情の焦点は、あくまでその人々たちの共々のよろこびにある。その男や女の演技の性格、味いへの共感として、率直に表現されているのである。
 こういう風に見て来て、あの答えを考え直すと、あのひとは日ごろ何と云っても曖昧な鑑賞の態度で映画も見ているのだと思う。自分にはっきり、よさ[#「よさ」に傍点]を感じる自分の心持の本質がつかめていないのだと思う。だからいざとなると、主観の上での好きさにたよって云うのもそこらの娘っこのようでいやだし、それなら、一個の芸術家として見ている俳優をあげるところまでは鑑賞が系統だたず、でも、何故そのままの気持で、随分つまらないものにも涙こぼしたりするんだから、わからないわ、と瑞々《みずみず》しく愛くるしい若さで云わなかっただろう。
 それは混乱がそのまま語られているわけだが、みんな映画通ではあるまいし、生活のいろんな心持の要求で観たのだから、それなりの真率さが流露してきくものの心持では素直にきける。本質はそういうものなのに、考えた言葉に翻訳してあんな風に云うことは、そこに個性もないし、実感もないし、空虚《うつろ》な消費的な気分で映画をみる或る種の若い女の話術の一典型が在るばかりだと思われる。話術の巧さは近代女性の魅力の一つとして云われているが、活々《いきいき》と巧まない巧みにみちた話術ということからすれば、やっぱり、自然に、あらァ困った、私まるでだらしないのよ、と自分も笑いひとも笑いながらの品評が、おのずからなる機智にもみちている。
 映画俳優のすき、きらいにも、あんな心理的な答えをして生きている娘さんを、私たちは気の毒だと思う。そのひとの生れつきと教育とが互に助長しあった不幸とも思われ
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