女の自分
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)撥《はじ》き
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 人間には誰でも自分のことが一番面白いのだということがよくいわれている。確にそういうところもあろうと思う。自分のうれしいこと自分の悲しいこと、自分が好きと思いきらいと思うことは一番直接だし、ましてや自分が何か努力して難関を突破したという満足でもあれば、いよいよ自分のことは自分に興味ふかくもなるだろう。
 その自然な傾向のなかで、とくに女は自分のことしか話さないということがおりおり皮肉めいて諷される。いろんな話をしているようだが、落ちるつづまりは、きっと自分のことになるのが女の癖だといわれて、私たちは、はっきりとそうばかりでもないといい切れるだろうか。
 この間ある若い婦人のための文学投稿雑誌に、生活ルポルタージュの文章をつのって、偶然その選が私に当てられた。そのいくつかの原稿を読んで感じたことは、若い女のひとたちが、生活の日々に起るさまざまの事件やそこに登場して来る人々に対する好意や憎悪の感情を、いつも自分中心に感じてだけいて、第三者の位置に自分をおいてみて、自分の心持や対手の心
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