とって本当に可哀相と思う。疲れて浦和へかえったとき、彼女たちの心にはたして出発のとき燃えていた明るいたのしい気分が、たっぷりつぐのわれてあっただろうか。
 何となし東京の人間なんて、という感じが心の片隅にのこされたのではなかったろうか。銀座なんか歩いているような者たちは、と、訓話などできいた話を思いおこして、自分たちの木剣姿に向けられた街の表情を憎悪することはなかっただろうか。
 私たちは、若い娘さんたちの純情を思いやって、浦和の娘さんたちを気の毒に思うとともに、そういう形での行進を迎えなければならなかった東京の市民も気の毒に思う。なぜなら、そういう行進を考えついた人が娘さんと市民との間にいたわけなのだから。もし娘さんたちが自分たちの相談で決定したのなら自分たちの若い心をそういう風に表現するのがいいことだと日頃から思うような教えかたをされているわけで、そのことのために、やはり娘さんたちへの可哀想さは減らないのである。
 無意味な馬鹿らしいことも、それとしらずにまじめでやって行くところに若い純な心のねうちがある。それだからこそ、若い人たちを指導する立場にいるひとは慎重で常識を明らかにして
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