っきり断言はできない。けれども常識として考えた場合、一ふりの長い剣を斜に背負った姿は、日本の昔から袴の股立ちを高くとった若武者の旅姿で私たちには印象づけられているのだから、それがセイラアの制服の背中について自転車に乗って行進して来たとすれば、一種の時代錯誤が感じられるのはむしろ当然ではなかったかと思う。
それを見て笑うなんて浅薄だという風にいえば、もちろんそうで、真に心ある人々としては決して笑って見ていられない今日の日本の時局精神の皮相的なはきちがいが、その娘さんたちの姿にも象徴されていると思う。そういう姿にある時代錯誤の感じは、単なるハイカラ的見地からでなく現代の世界が使用している武器の機械的な強力さや精緻さは子供だって知っているのだから、女の子がなまじそんな木剣を背負って行進したりするところには、ちかごろ流行の詩吟や黒紋付姿同様、何か国民が本気でそれへ当っている事象への戯画化が印象づけられる。
娘たちはきっと、そういう体のあがきのわるい姿で隊をなしてペタルをふんでさぞや一心な顔つきであったろう。その一心な若い真率な心を、その姿の与える空気で裏切っていたということは、娘さんたちに
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