書簡箋
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)粤東《エットウ》
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(例)[#ここから3字下げ]
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中国の書簡箋というものには、いつもケイがある。けれどもなぜケイがあるかは知らなかった。白文体について作人が書いている文章が「魯迅伝」に引用されている。「古文を用いますと、空っぽで内容はなくとも、八行の書簡箋はいっぱいに埋められるわけであります」ははあと、感服した。古い支那の教養とは何という様式化であったろう!
こういう極端な様式化が教養の根本をなしたという事実の半面には、氾濫的な生活力の横溢があり、それに対して権威の表現としてのつよい様式化が求められたということを意味する。礼教というものの発生した支那は、礼のみだされつづける社会事情であったことを語っている。
支那古来の聖人たちは、いつも強権富貴なる野蛮と、無智窮乏の野蛮との間に立って彼等の叫びをあげてきた。「男女七歳にして席を同じゅうせず」しかし、その社会の一方に全く性欲のために人造された「盲妹」たちが存在した。娘に目があいてるからこそ
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