リアや農民の子はどうです。親があったって、親は搾られ、ろくな飯さえ食えずにいる。
 まして、孤児院とでもなったらそこにいる子どもは、子供達のかせぎで孤児院経営者の一家を食わしている有様です。
 孤児院ですがと、押し売りに来る子供の声と恰好は、ブルジョア家族制度の悪のかたまりです。
 日本人は、親子の情にあついのが世界の誇りだとブルジョアは云いますが、それは金のある親と子の間でだけ通用する。いくら可哀想と思い血の涙をこぼしても、金を出さなければ医者のよべないブルジョア社会で、一文なしならどうしましょう。医者にかけられずに子を死なせた親を情なしと云ったら口はさけます。
 ブルジョア社会では、親が金の余裕をもってその子が幸福になるように考えてやらない限り、誰も責任は負ってくれない。親の貧乏なのはその子の不仕合わせ。両親を失ったのは不運ときめて、冷ややかなものです。
 ソヴェトの世の中、働くものの世界がくれば、どの子だって生まれたからにはソヴェトの子、働くものの社会の子、です。
 仕合わせになるよう、いい働きてとなるよう、国家(働くものの社会的連帯)の力で育てあげる。その証拠には、この「五月一
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