説家伴三の作家的日暮しの姿を批判して「小説ってそんなものかしら」「兄さんの勉強というのは場面場面をソツなく書くための工夫で、心をどうかするという魂のこもったものじゃないんだわ」と、兄伴三のみならず今日の職業作家の共通な急所を突いてもいる。伴三が本郷の本屋で、高等学校の生徒(梅雄)が自分の本をしばらくひらいて立読みし、やがて卒然感興を失った表情でそれを乱暴に本棚へ戻すのを目撃していて受けた苦痛の感情は、「強者連盟」全篇の中でも、亮子のいわゆる心をどうかしそうにまで肉薄した描写である。
作者は恐らく周囲に充ちているであろう小説家的日暮しの人工性、稀薄性に呼吸困難を感じ、いかりを蔵して、この一篇に組みうったのであったろう。その作者の気分は、はっきりと感じられる。この作品が道具立てとしてはさまざまの社会相の面にふれ、アクつよきものの諸典型を紹介しようと試みつつ、行間から立ちのぼって最後に一貫した印象として読者にのこされるものは、ある動的なもの、強靭で、肺活量の多いものを求めている作者の主観的翹望であるゆえんである。
作者は人生を愛さずにはおれなく、小説家以上の芸術家を求めずにおれず、その気
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