ている日本文学の財産の性質を吟味する上に意味ふかいことである。
今日のヒューマニズムが、この人生と芸術とにおいて、人間生活に及ぼす作用において、感動と情熱とは同じものでない別個のものであるという、深刻な事実を、何かの形で会得させ得るとしたら、それだけでも、日本文学にある前進の足がかりを得たことになるであろう。歴史のぎりぎりのところへぴったり肩を入れて、押しつ押されつ生きること、摩擦に堪えその意味を知ること、その野暮さのうちにどのような美の可能、人間性の発露があるか。人間を人間たらしめ、芸術を芸術たらしめる情熱は常にその外見において粋であることはできない。常に世故にたけていることも、エレガントであることもできないのである。
こんにちの文学の諸錯綜の姿を描き出し、相互関係を示そうとしている努力で、私は「現代文化と思想的文学的傾向」(窪川鶴次郎・日本評論)を有益に読んだ。[#地付き]〔一九三六年九月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻
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