あった。
「どうしたんでしょう、全くないの」
「変じゃあないか」
 禎一も立って下に来た。
「ここにあったのよ、確なの其は」
「――台処の木戸あけたかい? 今朝」
「いいえ」
「――昨夜、この部屋に居たのは――小幡とふきだけだね」
「ええ」
 何か推考する禎一の瞳と愛の眼がぴったり合った。愛は、ありあり意味を感じ小さい不安そうな声で訊いた。
「――そうお? 貴方もそうお思いんなる?」
 禎一は、素早い愛の感づきを苦笑し乍ら顎を撫でた。
「――真逆と思うがね、どうも。――でも、これ迄家ん中に此那ことはなかったんだからな」
「ふきは、これ迄彼那に手伝って貰って居たって決して此那ことはなかったわ――私、何だかいやだな、あの人が若しそうだと、私困るわ」
「ふむ――一寸困るね」
 小幡というのは、或会社に勤めて居る事ム員で、近頃或機会から、一ヵ月に一二度ずつ彼等の処へ遊びに来る婦人であった。二十六七の、気の強そうな話し好きであった。浅黒い顔にさっぱりした身なりで、現在の良人との結婚前後のことなど遠慮なく自分から話す。その間にちょいちょい鋭い批評眼らしいものが閃く。あれでもう少し重みと見識が加った
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