いている。指紋をとることが、都民の権利の主張であるとして語られている。しかし、指紋をとる、ということは、あたりまえの生活にあるべきことではない。刑事訴訟法二一八条二項に――容疑者の身柄を拘束した場合にのみ、強制的に指紋を採ることができる、とある。したがって、指紋と犯罪の容疑とは密着したものである。泡盛によっぱらって、留置場のタタキの上で一晩中あばれていただけの者が、警察にとまったからと云って指紋はとられなかった。
 盗んだ、殺した、火をつけたという事件の容疑者が指紋をとられた、と同じに、思想上の問題で検束されたりした者が、指紋をとられた。思想の自由、言論の自由、そして良心の自由のない日本、警察国家の日本は、そういうところに権力の方法をあらわしていたのだった。
 一九五〇年になって、基本的人権ということばが日用語にはいっているとき、日本では東京全都民の指紋をとることにした、という現象は、世界にむかって、日本そのものが何人かにとって一つの容疑者の檻になりつつあるということを語るのだろうか。あるいは、奈良朝時代、使役する奴隷や農奴の脱走を防ぐために、いれずみをした、そのような何かが必要になっ
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