それ故、歩くのが平らかに行かない。どうしても、きく、きく、と足が捩くれる。きくり、とする度に、ぴったりと形に適った鞣皮をぱんぱんにして、踝が突出る。けれども、その位の年頃の女の子はおかしいもので、きく、きく、しながらそのひとは一向かまわず、而も得意で廊下や段々を昇り降りする。私は日向の廊下に腰をかけ、空の乾いた傘棚に肱をもたせながら、思い極まった顔をしてその後姿を眺める。天気のよい日、磨かれた靴が特に光り、日を照り返して捩くれるのを見ると、私の心は云いようもなく重く悲しく、当のない憤懣を感じずにはいられないのである。――思うと笑わずにはいられない。
先生や友達の個人的な思い出は抜き、次に印象深いのは、お昼休み前後の光景である。
想っただけで、私の前には、あの輝く空と、波のように砂利を踏む無数の足音、日を吸って白く暖い廊下、笑声、叫ぶ声が聞えて来る。御弁当を持たず、家が近所の人は帰るので、教室から出て来たばかりの時は、まだまだ運動場はからりとしている。小さい女の子はお手玉をとりとり大きな声で謡をつけ、大きい女の子は、廊下の気持よい隅や段々の傍で、喋り笑い、ちょいと巫山戯《ふざけ》て、
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