ペタンと落して穿きかえる気持は、今もなお鮮に心の裡に遺っている。健康な、多勢な、まだ眠っている活気を、そこで第一に吸い込むのである。
 考えて見ると、あの時分の小学生は、今の子供達とは随分異っていたものだと思う。こんなに靴を穿いている者はいなかった。皆、草履袋を下げ、それを振廻したり、喧嘩の道具に使ったりしながら、男の子でも下駄か、皮草履を穿いて通学した。いつもいつも靴を穿いているのは、きっと、級の中でも気取屋に属していたような有様なのである。
 それで、今書きながらも念い出しておかしいのは、私の一級下に、或る金持の、痩せて特徴のある表情をした令嬢がいた。その人は、いつでも靴を穿いている。而も、その靴が、子供らしい尨犬《むくいぬ》のようなのではなく、細く、踵がきっと高く、まるで貴婦人の履き料のような華奢な形のものなのである。
 十二三の女の子の眼を瞠らせずには置かない。私は、驚いたり、羨しかったりで、熱心に眺めた。ところが、どうしたのか前の方の形は実に素晴らしいのに、後で見ると、踵がまるで曲って内側に減り込んでいる。形が、子供の運動には余り不適当なので、あんなに歪んでしまったのだろう。
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