いという事実を聞いた印象も心に刻みつけられた。
明治の初め先ず普及したのが英語であったような関係で、若く急速に歩み進んだ日本で、婦人の医者はあって、病理などやる人のないということは私たちにもよく肯ける。消極の意味で肯ける。おくれている中国の状況を見ても、そこには女医は急速に増して来ていて、併し女の病理学者は一人も知られていない。
文学における文芸理論と作品とのようなもので、一方だけでは不具なのだと思う。正当な成育力がないことの左証である。科学上の原理の発展への努力、その努力によってもたらされた成果の後を応用的な部面が跟《つ》いてゆくのは必然であって、日本の科学性というものは、歴史との関係から見てもこの意味でどの程度自給自足であるのか。そのことも考えられる。
現在の私たちが生きている世界の空気の中で、もし科学教育やその知識の大衆化が、応用的な面でだけとり上げられるとしたら、そこには大きい後退が生じるだろうと思う。ラジオの短波は科学的発達の一定段階に立ってはじめて人間の支配下におかれた現象であろうが、それが今日大衆の日常の裡に血肉化されているかと云えば、そうではないのが現実である。短
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