子供のために書く母たち
――「村の月夜」にふれつつ――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)貪婪《どんらん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年三月〕
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私のところに、今年四つになる甥が一人いる。汽車や自動車、飛行機などの絵本が面白いさかりで、縁側の障子を閉めたこっちで、聞いていると、母親をつかまえて、ああちゃんポッポ! ね? など、片言に話し、それに答えて母親がまたびっくりするような上手さで、いろいろこの小さい子供が往来で見聞して来ているものや子供をよろこばせたこまごました印象と結びつけ、電車の物語、自動車の物語をしてやっている。
私は、母の愛情から自然に湧く心持の豊かさ、話しのたくみさに、非常に美しさを感じつつ、それを聴いている。ある日私のわきで、やっぱりそういう光景を眺めていたその小さい子の父である私の弟が、でも姉さん、おかしいもんだねえ、僕がまだ小さかった時分、何だか一冊絵の本があって、それをおっかさんが話してくれるんだけど、面白くてたいへん気に入っていたんだ。そうしたら、おっかさんのいない晩があってね、女中にせがんで同じその話をよんで貰ったら、まるで違うのさ。ちっともいつものように面白くないし、まるで全体が別ものなのさ。どうしたんだろうと思ってひどく不思議だったけど、今考えて見れば、おっかさんが、子供に分るようにうまくこしらえてよんでいてくれたんだねえ。と追懐をもって語ったことがあった。
私たちが小さかった頃の読物は巖谷小波が筆頭で、どれもみな架空の昔風なお伽話であった。さもなければ、継母、継子の悲惨な物語か曾我兄弟のような歴史からの読物である。普通の子供が毎日経験している日常生活そのものを題材としてとりあげて、その中から子供の心に歓びや緊張、努力、風情、健全な想像力をひき出してゆくような物語というものは、私の子供時代にはもちろんなかったし、現在でもまだ数少いのではないだろうか。
ソヴェト同盟の文化、文学の建設は、さまざまの過程を経て今日先進的な水準をもっているのであるが、子供のための文学の問題は、その後どう解決され、進展しているであろうかと興味を動かされる。私がモスクワにいたのは一九三〇年の暮までであった。当時、文学運動に関する討論の一部として児童文
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