学のことが論議され、それがある人のその文学の到達点にまでいたっていないことについて批判が行われていた。少年らのグループが作家の団体へ、あなた方の文学上の才能を、未来の担い手であるわれわれのためにもっと十分発揮してくれ、という公開状をよせたりして、この問題は活溌な注目の下にあった。この場合は、もちろん、昔の化物話や泥棒などではない、新しい社会に育っている子供らの生活とその心持にぴったりするような、現実的であって同時に子供の溌剌たる想像力を満足させる文学を求めているのであった。
イギリスは従来、子供のための文学の分野では代表的な作品を出しているところである。イギリスが大戦までは経済的に堅固であった中流生活の土台の上に立って、家庭生活というものを重んじ、子供の躾けや教育に重きを置いてきた。その社会事情が反映して、十九世紀以後の英文学には「アリスの不思議な国旅行」「ピータア・パン」、ディケンズやアルコットの諸作など、世界の児童のために少なからぬ贈りものを与えてきた。
ヨーロッパ大戦は、イギリスの経済状態に大変動を起し、とくにここ十年間の恐慌は、過去において子供のための文学を生んでいたイギリスの社会的背景を非常に変化させた。親が貧しくなり、子供らの生活も貧困化し、それは大衆のもっている文化の貧しさを結果してきているのである。
現代の世界の多数の子供らの日常生活にとっては、アリスの不思議な国も消え失せてしまっているし、また、昔ディケンズが描いたように、小さい人々の苦難の時には、きっと現れて不幸からたすけたり勉強させてくれたりする「親切な紳士、淑女」というものの出現も決して期待できなくなっている。
いささか余談にわたるけれども、ディケンズは、人生の底にふれた作家、不幸の底を知っている心の暖い民衆の芸術家といわれ、辻に立って本をよめぬ人々に小説を朗読したほとんどただ一人の作家なのであるが、私が彼に対してもつもっとも大きい不満の一つは、彼の不幸にはいつもハッピー・エンドがつきものとなっている点である。「クリスマス・カロル」のように、貪婪《どんらん》な伯父が幽霊に脅かされて翻然悔悟し、親切者となるようなことがあるならば、いわばこの世の不幸は不幸といわれないのではないだろうか。ギャングにさらわれ、波瀾の激しい日を送りながらも心の浄い少年が、ついに助け出され巨大な遺産を相続して旦那
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