子供のためには
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)靭《つよ》い
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 昔、明治の初期、若松賤子が訳した「小公子」は、今日も多くの人々に愛読されている。若松賤子がこの翻訳を思い立ったのは、愛する子供たちに、清純で人間の精神をたかめる読みものをおくりものとしたい、という心持からであったことが記されている。
 現代の婦人作家では野上彌生子氏が幾冊かの翻訳を小さい人々のためにおくっている。
 ちょっと考えると、女性と子供との習俗的な近さから、婦人作家なら誰でも、何となし子供のための文学に一応興味をもってよかりそうな気持が一般にあるのではなかろうか。
 この間或る席で、児童文学を専門にしている男のひとが、佐多稲子さんに、子供の本を書きたいと思いませんかと訊いたとき、稲子さんは、さあと云って、そう思わないという意味の答えをしたら、訊ねた人は大変案外そうに、そうかなア、と小首をかしげる表情をした。
 私にもきかれて、私の答えも、やはり条件つきでされた。私はもし何かの折に書けるなら、イリーンが「書物の歴史」だの「時計の歴史」だのを書いたような工合に、歴史の
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