中で、子供というものが太古から今日まで、どんな生活をして来たかというその変遷の物語か書いて見たいとは思うけれど、小説風なおはなしは書きたいと感じていない、と話した。
稲子さんは二人の子供たちをもっているし、生活の全面に、いかにも情のふかい人だから、その児童文学をやる人は、そういう稲子さんが子供たちのために書くということを自然に可能と思ったのであったろう。
忘れられてしまうようなそのときの話ではあったけれども、私には、婦人と文学との問題にふれて、思ったより深いものがありそうに思えているのである。
今日三十代で文学の仕事をしている婦人作家の多くは、少女小説めいたものは書くけれど、児童のためのものを本気で書いている人は殆んど一人もいない。これは何故であろうか。
日本の過去からの習俗が、女を子供に近く結びつけて見て来ている歴史の、その他の半面が文学にあらわれているのだと思える。日本の婦人作家は、自身の文学の成長の過程で、旧来、女子供と一括されて来ていたその社会のしきたりをかえて、女と子供とは二つの別のものであってそれぞれに自立した生活の内容をもって、社会にかかわりあってゆくものである事
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