情緒の未だ無垢なりし故郷として、何となく回顧風に、優しい思い出の調べを添えて感じる癖がある。子供のための本をかく人は、同じ女性でも、小説を書く女性より、所謂《いわゆる》やさしい人のように予想されたりする。その先入の感情から脱けられなければならないと思う。
 ほんとうに立派な子供のための本をかける女性というものの、心の内部は確《しっか》りとしたものであって、その精神の一面では、今日小説を書いている幾人かの婦人作家が持っている文学の世界の意味をも洞察し、云いかえれば、それらの婦人作家が子供のためのものを書かない歴史の意味を、共に感じるだけの自身のひろがりと成長の意志を持っていいのだと思う。
 一人の女性はそれを小説に書く、それと根本は通じた願いによって、自分は子供のために書く、それが自身の表現であるというところまでの自分への納得がもたれたらうれしいと思う。子供のために書く、そういう婦人が出なければならない。
 子供のために書かれる文学が、文学の全体からみるとその作者の文学的資質のただ一般的な低さとか弱さとかいうような関係であらわれるとすれば、それはその国の文化として悲しいし、愧《はずか》し
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