子供・子供・子供のモスクワ
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)国立百貨店《グム》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)|並木通り《ブリヴァール》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)万歳※[#感嘆符二つ、1−8−75]
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 さあ、ちょっと机のごたごたを片よせて、
(――コップは窓枠の前へでものせといてください。)
 モスクワ地図をひろげよう。
 市の西から東・南に向って大うねりにのたくっているのは、誰でも知っているモスクワ河。その河が二股にわかれた北河岸に、不規則な三角形の城壁でとりまかれた一区廓は、全世界のブルジョアとプロレタリアートに一種の感銘をもってその名をひびかしているところのクレムリン。
 この頃は城壁内の青草が茂って、ビザンチン式の古風な緑や茶色の尖塔はなかなか趣ある眺望だ。円屋根にひるがえる赤旗は、まわりを古風な建物がとりかこんでいるだけかえって新鮮で、光る白い雲の下で夏の歓びにあふれている。
 クレムリンの城壁が終ったところに細い通りがあって――
 ソラ! ここだ、労働宮というのは。
 モスクワ河岸をAの電車にのってぐるりと行くと左手に素晴らしく印象的な白い建物があったろう。あれが労働宮である。組織と計画の理性の明るさそのものでがっしり組んで来るような颯爽たる大建築の内部には、社会主義労働の全組織網が納っているのだ。
 ソヴェト全勤労者の祭日であるメーデーの前日からモスクワ市は一切酒類を売らせなかった。
 当日は全市電車がない。乗合自動車もない。赤旗と祝祭の飾りものの間に十数万の勤労者の跫音がとどろいた。インターナショナルの高い奏楽と、空から祝いをふりまきつつ分列する飛行機のうなりがモスクワ市をみたした。
 夜一時近く赤い広場は煌々たるイルミネーションと人出だ。朝から夕方までおびただしい人間の足の下にあった赤い広場の土はもうぽくぽくになっている。夜気の中でもそのほとぼりと亢奮がさめ切っていないところどころで、臨時施設の飲料水道の噴水があふれて、小さいぬかるみをこしらえている。新手な群集は子供や年寄づれで、ぞろぞろ河岸へ河岸へとねって行く。
 国立百貨店《グム》の前、赤いプラカートの洪水だ。
 ――帝国主義とファシズムの犠牲者に階級の兄弟プロレタリアートからの挨拶を!
 また、
 ――世界革命、万歳※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 レーニン廟は修繕中である。今は「レーニン留守」の感じを与える。ひろい板がこいの上は生産に従う労働者と農民の鮮やかなパノラマ式画でおおわれ、赤いイルミネーションが、こっち側の歩道を歩く群集からも読める。
 レーニニズムノ旗高ク
 五ヵ年計画ヲ四年デ!
 たなびく赤旗が強烈な夜の逆電光をうけとるといかに感動的な効果をもたらすか。昔の首斬台は一九三〇年のメーデーの夜そういう忘られぬ赤旗の美しさと労働者の力づよい群像で飾られている。ラジオ拡声機の大ラッパは広場じゅうへ活溌な行進曲を弾き出し、全景は赤い! 赤い!
 黒い壁となって河岸まで押し出した群集は、カーメンヌイ・モストのたもとで一時ホッと息をいれた。河風は涼しい。遠くで夜空を燃している光の家、労働宮のイルミネーションが夜の河面へとけ込んでいる。クレムリンの長い外壁は灯のけない暗闇だから、遠いそこだけが何とも云えず輝かしい。
 五色のイルミネーションは対岸のモスクワ市発電所にもあって、三百六十四日はむっつり暗いモスクワ河の水を色とりどりにチラつかせている。
 モスクワの群集はイルミネーションに対しては素朴である。群集の中から満足した笑いごえがし、或る者はそのまんま橋の欄干にもたれた。或るものは更に暗いクレムリンの外壁に沿って労働宮の方へ。
 ソヴキノが照明燈《プロジェクトール》をもやして労働宮とそこへ向う群集を撮影している。橋の下では二艘ボートが若い女をのせ、イルミネーションのとけ込んでいる辺だけ小さく漕いでいる。
 最近の二年間はすべてを変えた。ソヴェトの生産振興の為の五ヵ年計画は一一〇パーセントの全生産拡張プランとともに生活全線を社会主義再建設に向って勇敢にねじ向けてしまった。――
 が、そのことは又別に話すとして、地図にかえろう。我々はモスクワ市の環状ブルワールを見つけたい。
 一本はこれである。クレムリンを中心に一寸がたついたコムパスで大きく描いた円みたいな環状線。これは外の並木通りで、絞りをずっと縮めてゆくともう一本やっぱりクレムリンを遠巻きにして円く――そう! これが内の並木通りである。

 並木通新聞《ブリヴァールナヤ・ガゼータ》という言葉がある。
 先年、モスクワ駐在の不幸な一日本海軍武官が神経の故障から何か個人的問題を起した。モスクワの或る新聞が社会面にそれを書いた。海軍武官はやがて日本の新聞もそれにならうであろうこと、それによって失われるであろう自分の名誉という強迫観念によって、古典的なサムライの手法をもって生命を絶った。当局者の一人がその時、事件に対するヨーロッパ人らしい意外の感じを外交的表現によって云った。――私共はあんな並木通新聞《ブリヴァールナヤ・ガゼータ》なんぞのぞいたこともないので――
 |並木通り《ブリヴァール》を歩くと云うことがある。これはソヴェトで「|私の知り合い《モイ・ズナコームイ》」という言葉と同様二重の意味をもっている。
 ホテルの台所である。正面に白樺薪で沸かすニッケルの大湯沸しが立っている。テーブルがある。まだ洗われない皿がそこに山と積んである。あたりは小ざっぱりしているがそれ等の皿の上をのぼったり下りたりして蠅がうんと這っていた。蠅は、電燈の下で皿がうごめくように黒くしずかに這いまわっている。
 そういうテーブルの片隅で、日本女が砂糖のかたまりを胡桃《くるみ》割でわっていた。砂糖はパン、肉、茶、石鹸、石油などと一緒に人別手帳によって一ヵ月に一キロ半買うことができる。けれども、かたまりが大きくてそのまま茶のコップには入れられない。胡桃割は割るべき胡桃とともに今モスクワじゅうの金物屋から姿を消しているから、ホテルの台所で、ホテルにもたった一つのその道具をかりて、日本にはない砂糖わりという仕事にとりかかる。
(大体ソヴェトのホテル住人ぐらい、台所と、率直な家庭的関係を保っているものはあるまい。※[#始め二重括弧、1−2−54]英語の通訳、ドイツ語の通訳が玄関を飛び交うサヴォイやグランド・ホテルは例外である。そこは、ソヴェトのただ狭い客間である※[#終わり二重括弧、1−2−55]。一九二八年代、どこのホテルの廊下ででも給仕男が大きな盆に茶や食物やをのっけ、汗だくで運んで行く恰好を見ることが出来た。むかし築地小劇場がたくみな模倣でゴーゴリの検察官を上演した。あの劇中でも金のないフレスタコフのあなぐら部屋へ靴の裏みたいなあぶり肉をそれでも給仕が運んで来たじゃあないか。あの通りだった。一杯十カペイキの茶でも呼鈴《リン》を鳴らされると、給仕男は手にふりまわすナフキンとともにエレヴェーターのない四階までのぼって来て、又降りて、盆にのっけて室まで届けなければならなかった。
 五ヵ年計画による社会主義建設に入るとともに、モスクワの人民栄養労働組合員達は、労力の合理化を実行した。一般のホテルでは室へ飲食物を運ぶことを全廃した。一九三〇年の給仕男はもう廊下で汗の匂いをかがれる存在ではない。食堂の周囲にだけ出没する。そして、八十近くある室と食堂、台所との間は別な者が歩くようになったのである)。――
 朝八時と十時の間。夜は九時から十一時前後、ホテルの黒猫は廊下のエナメル痰壺のわきに香箱をつくって種々雑多な色の靴とヤカンの行進を眺めていた。各々の足音が違うように大小恰好の違うヤカンを下げたホテルの住人が汽車から駅の湯沸所へ通うようにホテルの廊下を往来するのだ。日本女は空色エナメルの丸いヤカンをもっている。
 廊下を曲ったところにいつも扉《ドア》をあけっ放した一室がある。そこはホテルに働くものの為の休息室、食堂、職業組合のメストコム、党|細胞《ヤチェイカ》で、一隅には赤布で飾った小図書部「|赤い隅《クラースヌイ・ウーゴル》」がある。文盲者率の最も高い人民栄養労働者が彼らの文化革命と社会主義建設を達成すべき細胞である。
 廊下を通る日本女の空色ヤカンは「|赤い隅《クラースヌイ・ウーゴル》」の赤い色をポッチリ鮮やかに映した。隣の出版従業員組合クラブからの赤旗の歌で響くこともある。

 砂糖をわりながら日本女は皿洗女としゃべった。皿洗女はやせた髪の黒い女で灰色の上っぱりを着て働きながらよく唄を唄う。
 ――あああ! もう直ぐいろんな実の時節だ。あなたの国でも桜ん坊や黒苺できますか? なんでもあるんでしょ? あっちでは。
 ――日本に黒苺あるかしら。――見たことなかった。――おいしいわね、黒苺。歯が真黒んなって閉口だけれど。
 ――砂糖さえたっぷり入れて煮ればね。
 ――一月いくら? 一キロ半? やっぱり。
 ――どっから果実砂糖煮《ワレーニエ》の分が出ます?――
 ――あなたんところでは今砂糖でも煙草でもみんな外国へ出して機械になるんだからね。オデッサの港には砂糖の山があるって。
 ――ほらね! そうして「五ヵ年計画を四年で」やりとげるのさ。ここんところ少しひもじい目も堪えとけば、あとでよくなる。
 皿洗女は、真面目なようなふざけたようなまたたきをして、首をふった。彼女は臨時雇いである。五十七ルーブリ貰っている。
 ――本雇いにして貰えばいいのに。
 ――事務所で室女中にしてくれるかもしれないって云ってたが、どうなるか。
 ――どこでも今人が足りなくて騒いでるじゃないの、集団農場や国営農場へとられちゃって。職業紹介所は空っぽですよ。
 ――事務員は払底しているんです。
 ニッケル大湯沸のクランクからバケツへ熱湯を注ぎながら皿洗女は云った。
 ――臨時でもなんでも、こうして働ければ結構ですさ。働いていりゃ|並木通り《ブリヴァール》あるきをしないですむから……ねえ。
 そのほか、
 |並木通り《ブリヴァール》にはティモフェー・ティモフェーヴィッチという熊をつれた大道芸人がいた。
 三枚八十カペイキ、三十分の早とり写真屋。菩提樹《リーパ》の茂った樹かげに立てたペンキ画の背景の前の椅子で、赤い布《プラトーク》をかぶった女が格子縞のスカートの皺をひっぱっている。
 |並木通り《ブリヴァール》風景を眺めて昼間のベンチにいるのは9/10までいろんな髪と目の色をした女、及び籐の乳母車だった。
 ゲルツェン通りが並木通りと交叉するニキートスキー門のところにはチミリャーゼフの記念像がたっている。像の台石のまわりには、赤、紫、白、夏の草花が植えこまれている。一九一七年の「十月」ここで激しい市街戦があった。今年は、フント一ルーブルのトマト売が出ている。葡萄売も出ている。高いところでラジオ拡声ラッパが二十一度の明るい北方の夏空へギター合奏を流している。ソヴェト十三年の音と光だ。ずらりと並んだ乳母車のなかでは、いる、いる! それ等の音と光に向って薄桃色の臀、腹をむき出したおびただしい赤坊が眠ったり、唇を吸いこんだりしつつそろそろ未来の職業組合員手帳に向って息をしている。十九世紀の進化論者チミリャーゼフと夏の草花とに偏見なきソヴェトの赤坊の性を朗らかにむけながら。
 並木通りには菩提樹《リーパ》の葉のかずほど赤坊がいた。いや、モスクワ市内の事務所役所のひける四時、四時後、九時頃まではよたよた歩きをする年頃からはじまって小学校ぐらいまでの幼童幼女で並木通りは祭だ。その間を赤衛兵が散歩する。ピオニェールが赤いネクタイをひらひらさせて通る。もちろんいかさま野師もその間を歩いては行くのだが、目につくのは並木のはてまで子供、子供だ。アルバートのゴーゴリ坐像の膝があいているのが不思議ぐらいな賑いであ
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