ト産業拡張五ヵ年計画は、プロレタリアート文化向上資金として三億五千万ルーブリを予定している。この資金の一部で五ヵ年計画完成後には労働者および下級勤人の子供百五十万人が学齢以前の保護を受けるようになるだろう。
*一九二九年ほとんど千五百万人の子供がСССРにいた。
勤労者によって構成されているソヴェト社会の実践上、この幼児保護教育の問題は重大な意味をもっている。
一九二七―二八 一九三二―三三 増率
幼稚園子供の竈 一〇七(千人) 二一七(千人) 一〇二・二パーセント
子供の遊場 二〇三(千人) 五〇六(千人) 一四九・三パーセント
固定託児所 一〇〇八 一五九七 五八・〇パーセント
(ソヴェト共和国)
児童健康保護医員 六三・一パーセント
この頃盛んに建つСССРの新住宅は多くの場合その中に、特に居住者の子供のための広場、室をわり出すことに注意している。家のあるその場所に託児所《ヤースリ》をもつ為だ。これは目的そのものが至極当を得ているばかりでなく、面白いことには二重の役割を演じつつある。元来家庭労働者とともに政治的には最も後にのこったものと認められていた家庭の主婦達が、この家屋の中まで進出して来た託児所《ヤースリ》を中心とし、集団的行動の必要に訓馴されて次第に個人主義的なものの考えかたの習慣から脱離しはじめたのである。)
[#ここで字下げ終わり]
その教師には「しゃっちこばり」というあだながついていた。
彼はいつも膝まである長靴をはいて来た。そして入って来ると、その長靴の踵をきっちり揃え、背のたかい腰をいんぎんにかがめ、下から何かをすくいあげるような手つきで握手をもとめる。
日本女は二人で一室に住んでいた。二年近くモスクワではそうして暮して来た。「しゃっちこばり」の、静脈の浮いた手を握ると、一人の日本女はドアの内側から外套をはずし、それを着て外へ出る仕度をした。「しゃっちこばり」は、室の中央のテーブルの傍に立ってそれを見ている。
――どうしてお出になるんですか、ちっとも貴方は邪魔なさいませんよ。それどころか、一緒に勉強出来て一層愉快ではありませんか。全く無駄な遠慮です。
どっちみち、日本女は室から出る。一時間半三ルーブリを、もう一人の日本女が最も有益に利用出来るためである。
モスクワ河が凍って、その上を絶間なく人や馬橇が通っていた。氷の穴から釣糸を垂れている者がある。黒い外套の裾からいろんな色の木綿更紗のスカートを出した女達が五六人かたまって厚い氷をわり、洗濯ものを籠から出してはゆすいでいた。何かの染色がとけて氷の中の水は緑っぽく見えた。
岸に上って見渡すと氷の上にある人間の姿はどれも黒く小さく、遠くにちらほらスケートしているものの顔だけぽっつり薔薇色である。発電所の煙突からは黒い太い煙が真直上った。
日本女は凍ったモスクワ河の景色を眺めてから、元へ戻り、或る一つの建物の入口を開けた。
床がしき石張で、古代ロシア風のふくれた円柱や重い迫持《せりもち》が正面階段のまわりにある。
事務室と書いてある戸をあけた。本。本。女。女。そして本! 中央児童図書館なのだ。児童文学は、ソヴェトの問題となってから久しい。そして、それはまだ解決されず、雑誌『ピオニェール』の編輯局が中心となり、作家と小さい読者との懇談会を開いたりした。
――ここでは、子供たちに本を読ますと同時に、いろいろ研究的な仕事をやっているんです。
監督の、おだやかな三十四五の婦人党員が説明した。
――御承知の通り我々のソヴェト文化はまだ極めて若いんですし、我々の参考とすべき経験というものが、先にない。すべて新しい。これは大変よいことだが、困難もあるんです。ここの第一の仕事は、ソヴェトの子供にどういう本を読ませるべきかという研究です。幼稚園・小学校で、どんなお話をきかせ、本をよませ、四十箇所もある子供の図書館はどんな本を買うべきかここが中心になって研究し、決定するんです。
彼女は日本女を本棚の方へ案内しながら云った。
――今ここにいる女の人たちは大抵小学校の先生たちですよ。地方からも出て来て研究して行きます。
特別な本棚が一つ傍にあった。赤、黄、緑、紫、黒の紙片をはりつけた子供の為の本が棚わきに並べてある。それは毎週一度ずつ開かれる詮衡委員会が新刊児童文学につけた成績表である。
――赤いのが一番いい部です。紫、黒のになると他の図書館へは買いません。緑のは、私共自身にはっきりわからないのです。果して子供が面白がるか、理解するか、若しかすると私共はよくないと思っても、子供自身が何か発見するかもしれませんからね、一応与えて見るんです。
――アリョーシャの『三人の肥大漢』は何色を貰いました? 今芸術座が上演しているし、本も随分贅沢な出版だったが――
若いパプツチキ(同伴者)の作家で、彼の小説の「|感情の結社《ザーゴヴォルチューフストヴォ》」がワフタンゴフ劇場に上演され、小説も劇も評判された。
――ああ、見ましたか? あなたも。
監督は笑った。
――何色だったか……あれは大人のおとぎばなしですよ、菓子の中から革命が擡頭したりするファンタジーは、少し困りますよ。
いま赤色をはられているのは、絵本だった。東洋、西洋、地球上のいろんな民族のプロレタリアートが独特の服装、風景、方法で、その民族独特の生産に従っているところを、明快な彩色画で説明したものである。綿花を栽培し、織物工場で働く耳輪だけ大きい痩せたインド人の後に、ヘルメット帽をかぶり、鼻眼鏡を光らしたイギリス人がいた。
ソヴェトの子供は、幼稚園で、或は小学校で、自然界と人間社会との関係を、日常のあらゆるいきた労作の中から直接学びとる。今、もう雪の底に春が匂いかけている。春大人は何をするか? 子供たちは大人をどう助けるか?(一年生の教課プログラム)
田舎では種蒔だ。
市の公園へは渡り鳥が来る季節である。公園の樹の梢へつるす鳥の巣箱を小学校の子供は手工でこしらえる仕度をし、中央児童図書館では、一つの本棚が五ヵ年計画、集団農場、国営農場、その他一般農作と春の動植物についての本でおきかえられた。
――これが我々に一番骨の折れる、大切な仕事なんです。ソヴェトの子供は大人と同じ社会の中に生活している。ただ理解が単純だというだけの違いです。彼等は五ヵ年計画についても集団農場についても知らなければならず、また熱心に知りたがるんです。複雑な今日の実際問題を簡単に、具体的にどう説明するか……。問題は迅速に次々移って行きますしね、例えばソヴェト選挙の時にはまたそれに応じた本を見出してやらなければなりません。
ソヴェトではいかに文字が実際生活の理解、建設に必須な武器かということは、一ヵ月この驚くべく前進的で柔軟性に富んだ多面な新社会の中に生活して見れば忽ちわかる。
たとえば日本女は小説を書くのが本職である。だから、未来に於てソヴェトの芸術が生れるだろう畑に興味を感じ、「鎌と槌」鉄工場の工場新聞出版室内の文芸研究部へ出かけたとする。
袋をかぶせたタイプライターが一台ある。二脚のテーブルといくつかの椅子があって、鋳型職場、旋盤からの若者が四五人八時間の働きを終って楽に坐っている。初歩の文芸部員たちは多くの場合詩人である。
――今日は誰が読むね。
マップからの指導者が、煙草をふかしつつ一同を見渡す。
――君か?
白いさっぱりしたシャツの胸を闊達にひろげて着たちぢれ毛のコムソモールは、ちょっと顔を赧らめ、
――いや。
と云った。
――何にもないんです。
――ポケットの中を見せ給え。
どっと笑う。
――さあ、どうしたんだ? アーシャ! じゃあ、君読んだ、読んだ!
――なおしてないし……自信ないんです。
――ここに自信なんぞ持ってる奴は一人もいないよ。
笑い声の中に立ち上って、がっちりした体にコバルト色シャツのアーシャが、抑揚は本もののプロレタリアート詩人らしい弾力で、原稿を読みあげる。
「きられる鉄片の火花と音楽。さまざまな形で社会主義建設の骨格になり輪となり、起重機となり、鋲となる鉄の美しい力、篤志労働団《ウダールニク》はその間から叫ぶ。――生産経済《プロフィン》プランを百パーセントに! 篤志労働団《ウダールニク》は叫ぶ。――いや。生産経済《プロフィン》プランを一二〇パーセントまで! と。そして、新しい輝くトルクシブの軌道はトルキスタンの砂漠をシベリアへ向って走り、北と南の生産を結びつけた。」
題材の掴まえかたの必然を文学的に理解するだけにも、日本女は先ずСССРの中心問題である生産拡張五ヵ年計画を吸収してなければならぬ。それを獲得するにはどうするか? 彼女は少くとも読まなければならぬ。統計表と数字とで一杯なパンフレットを。絶対にそれは読まねばならぬ[#「読まねばならぬ」に傍点]のだ。若し散歩した時ソヴェト広場にある、電燈入り地図の意味を知りたいと思うなら。
СССРで一九二六年に五千七十七万千九百九十七人(四九・六パーセント)あった文盲者が一九三〇年には既に四千三百万人前後に減り、五ヵ年計画完成後は都会七パーセント、村落二〇・六パーセントまで減少するということはきわめて自然なことだ。生活そのものが、文字はパン切符と全く同じに必要で、手にある鋤ややすりと同じ社会の道具だということを教えている。ソヴェトでは大人もこうして育つのである。
――ところで小学校の上級生ぐらいの子供は主にどんな本をよみますか?
――第一参考書類、技術的なもの、次は文学です。
――現代の作家では誰が愛されます?
――さあ……。勿論グラトコフや、リベディンスキー、セラフィモヴィッチなんか読まれているが――
女党員は、考えた後、
――近頃は古典を非常によみます。
と云った。
――トルストイ、ゴーゴリ、なんかですか?
――プーシュキンなどもです、レルモントフも出る。
――国内戦を主題としたものは、一般に子供にどう受けいれられていますかしらん。
――特に、若いものによませるために書かれた国内戦、革命に関する文学は、一つ、共通な大きな誤謬を犯していたことを我々は感じています。それは、革命の事業を全然機械的に見ている点です。「赤」はやたらに強くて、正義のかたまりで、賢く、成功の外何も知らず、「白」はいつも卑怯で、馬鹿で、革命は玩具みたいに雑作なく完成するものみたいに扱われている。大した間違いです。革命の現実をまるでゆがめている。もっと有機的に、苦痛、困難、失敗の繰返しのうちから根気よく勝ちとった革命が描かれなければならないんです。第一、そんな赤白物語、つまりませんよ、読んだって!
彼女は快活に笑った。階段を二階へのぼりながら、彼女は日本の児童のための雑誌、本の印刷が非常にいいと褒めた。
――技術的に実に進歩してます。でも、露骨に内容に歴史的要素を沢山とり入れていますね、この頁に、すっかりヨーロッパ風のよそおいをした日本の子供がラジオ組立てで遊んでいる画があると、直ぐ次に、封建時代のサムライが出て来る。日本の子供はひんぱんにそうやって封建時代へ逆転させられることを何とも感じないんでしょうか。まだ……。
二階の読書室の赤布で飾った本台の前で、十一二歳の少年少女数人がさかんに本をあさっている。
――アニュータ! 別なの下さい。
――どうして? あんたまだそれを読みきってないよ。
コムソモールカのよそおいをした若い図書掛がその少年に云った。
――本はすっかり読み終る癖をつけなさい。
――つまんないんだ。北極冒険のことでも書いたの下さい。
グランド・ピアノの置いてある、プラカートと棕梠《しゅろ》の鉢で飾られた集会の広間がある。奥の空室で年かさのピオニェール少女が二人、色紙を切りぬいてボールへはりつけ、何か飾ものをこしらえていた。
――モスクワは御承知の住宅難で、多くの子
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