、本を読むことが好きな上体もそう丈夫でない小僧の生活が、どんな苦しいものであるか。変りものの、役に立たない小僧として扱われ苦痛から翌年逃げ出して家にかえり、学校へ入りたいと云ったところ、父親は、学問なんぞさせると生意気になると云って許さず、家業の手伝いをさせられた。
当時の士族あがりの父親たち一般のものの考えかたと比較して、これは珍しい。何故なら、その頃の士族たちは、自分に息子でもあれば何とか一つ学校でも出して当時流行の官員様に仕上げ、明治の社会に位階勲等の片端でも貰うことに果敢《はか》ない幻を描いているのが通例であった。勇造の父親が、息子に学問を許さなかった心持、生意気になると、憤激をさえもってそれを阻止した心持、そこには何があったのだろう。
この作家の少年時代の好学心の具体化は常に父親のそういう態度との挌闘をもって、苦学の実力でもって結果的に闘いとられて行った跡が見える。十八の年、幾度か父親と衝突した揚句、漸く母のとりなしで上京。正則英語学校予備校に入ったこの時の有三は幾何《きか》というものを知らなかった。それを幾何《いくばく》と読んで友達に笑われた。だが、翌年の秋には、東京中
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