して、人及び芸術家としての山本有三氏は一応矛盾をも指摘し、それに抗議せざるを得ない人間の真情をもとりあげ、而して後、一般の温順な市民がそうである通り根本的な妥協への道を開いて見せている。その自覚された妥協こそ、山本氏の読者が一層山本氏の不安のおそれない正義感をわが身に近いものとして感じ得ているところなのではるまいか。私は、この微妙な綾をもって山本氏の芸術の中に織り出されている社会的正義感の姿に、深い興味を動かされるのである。
 五六年前改造社から一冊の大型で山本有三全集が出版された。最後に一九三一年迄の年譜が附されている。極めて簡単に記されている年譜ではあるが、作家山本有三を理解する上には大切な役割を示している。
 本名勇造、山本有三は一八八七年、明治二十年に、栃木町に生れた。父は宇都宮の藩士であったが、維新後裁判所の書記を勤め、勇造が生れた時分は小さな呉服商を営んでいた。生れつき弱い赤坊であったことが書かれているが、兄妹について一筆も触れられていないところを見ると一人息子であったのだろうか。体の弱い勇造は高等小学校を卒業するとすぐ浅草の方の呉服屋へ奉公にやられた。奉公がいやでたまらず
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