わきへ出ちゃいけないといったって、水の勢とその地面の高低で河の流れはどうにでもなってゆく。これは国とか社会とかいうものにも当はまる。「法律だの道徳だのというものも、あれは矢張り大きな河の岸」のようなもので、「そういう河になるとなるたけ流れが変らないようにしようと思って、高い土手を築いたり、コンクリートの堤防を造ったりするけれど、そんなにしたってそれが流れに逆ったものならいつか大きな洪水が来て、きっと堤を切ったり、コンクリートの上を乗越したりする」「どうかすると、そんな堤防をおきざりにして、まるで違った方にどうと押出すこともあると思う」「田舎になんか行くとよくあるじゃないの。昔あすこんとこをあの河が流れていたんですなんて、長い土手の田畝の中におき忘られたように続いているのが、あれはつまり亡びた法律、亡びた道徳のシンボルよ」
河の流れは夥しい水の圧力となって流れているのではあるが、河にはいつもその堤をかみ、堤と昼夜をわかたず摩擦してやがてその岸を必然に従って変えてゆく先頭の力としての河岸沿いの水というものがある。中核の圧力をこめてつたえて岸を撃ち、河の力がこわした堤の土の下に埋まることも
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