どれもそれがほんとだとは思われないが、博奕《ばくち》を打ったりしていたことだけは、間違いなかろう。
 とにかく、そんなことで、幾分山沢さんの未亡人も、注意していたとき、彼は或るとき、突然告発された。
 それをきいて騒いだのは、村の者ばかりではない。山沢さんの未亡人は真赤になって憤った。
 女主人になったので、構えの中から、そんな不面目な者を出したと云われては、とうてい辛抱がならないと思ったのも、無理ではなかっただろう。
 その原因が何であったのか、私ははっきり知らない。けれども、聞くところによれば、何でも、桑苗の取引きのことから、商売仇に訴えられたものらしい。
 彼は十日ほど、暗い処に拘留されていた。「ところが、有難いことには、神様のお加護で、身が明るくなった」尋問されたとき彼は何日分かの日記を、すっかり「調べ」たのだそうである。
 彼の「日記を調べた」という意味は幾日分かの日記を、すっかり暗誦したということらしい。自分でも、気味が悪いほど、何でもはっきり思い出せる。手紙の何行目に、こう書いてあるということまで、目に見える通り心に写ったのだそうである。
 そのためだったのか、どうだか分らないが、彼は無罪で許された、そのとき、署長が、
「偉い目に会わせて、気の毒だった」と云って、非常に鄭重に扱ったということを話すと、彼の口辺には、今もそのときのままの微笑が浮ぶのである。
 かように無罪で放免はされても、山沢さんの未亡人は、もう構えの中に置くことは出来ないと云った。
 そんなことをする者を置いては、山沢の名に関わると云った。
 これを聞いた、彼は、もう心を定めた。しないと現にお上でさえ認めてくれるものを、すると云って憤る人に彼は、説明したいとは思わなかった。哀願するには、あまり彼の骨は硬い。
 彼は、おろおろする女房を励まして、荷を纏めるなり、五年以前引越して来たより、もっと簡単に、出て行ってしまった。
 そして、村端れの小さい小屋に住むことになった。
 もう畑もないしするので、下駄の歯入れや、羅宇《ラオ》のすげかえをして稼ぐほかない。先よりなお貧乏しなければならない。
 そんなことは、彼にとって何でもないことであった。が、がまんのならないことが、一つある。
 曲ったことは、爪垢ほどのことでも、自分にも人にも許さないこの俺が、「この俺が」下らない蛆虫《うじむし》共から穢
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