持は、彼のみが知り、旦那様のみが知っていたものであったことを、私は彼のためにいとおしく思う。
とにかく旦那様が亡くなった四月後に女房のおまさが熱病で死んだ。娘を奉公に出し、彼はきたない小屋の中で幾年にもない、気の滅入る秋を迎えた。
そして、その年が豊年だったのが、山沢さんの大仕合わせと、彼の大不仕合わせになったのである。
十二
幾年振りかの豊作だったので、山沢さんの小作米が、「ふんだん」に上った。
平常の借りも皆返してよこしたので、何でも、三十四俵彼等の言葉で十七駄町の米屋へ預けることになった。
もちろん、彼がその任に当ったのである。
ところが、昔鐘になってボーンと鳴った彼は、どこまでも彼である。いい加減の年になっているのに、どうしたはずみだったのか、急に力自慢したくなって来たのだそうだ。
若しかすると山沢さんによって誘い出されては功名していた、力の遣り場がなくなったせいかも知れない。
真に偉いことには、けれどもおかしいことには、大きな荷車に、八俵を二度、六俵を二度、三俵を二度という、途方もない積みようをして、小一里ある町まで、一日中に運び込んでしまった。
これにはさすがの米搗き男も、お前には、叶わないと云って舌を巻いたそうである。彼はもちろん、いい心持であった。
若い、青しょびれた奴等に、いい見せしめだと思っていた。ところが、口惜しいことには、「年にはこの俺も叶わない。」その後以後、すっかり心臓を悪くしてしまった。
これから先二三十年の間、ボツボツ小出しに使うはずだった力を、一どきにグンと使ってしまったので、もうへとへとになって来た。
手足が、不自由になり、思うように歩くことも出来なくなった彼の偉大な体は、遠くなった耳とともに、ますます彼の強情を強めた。
今こそこんなにビクラビクラしてはいてもという、反動的な、けれどもどうしてもなければならない自負が、彼の頭を一層高くさせる。
娘が十八になって、婿を取り、自分も、町の呉服屋の下働きをしていた、少し気の疎い女を後妻にして、彼は、貧しくしかし毅然と肩を聳《そび》やかせながら暮し始めたのである。
けれども、彼はその時分、よく行方不明になることがあった。三四日居処の分らないこともあり、ときには十日ぐらい、女房も知らないどこかで過して来る。
いろいろ取沙汰するものがあって、
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