らわしい者だと思われたと思うと、彼は歯が鳴るほど腹が立った。
十三
彼は、山沢さんのお墓の前へ跪ずいて、散々口惜し泣きをした。
のめのめと生恥をさらしていられないほど、口惜しかった。
昔の士は、自分の潔白のためには、命も捨てるものだったという、旦那様の言葉を思い出した彼は、即刻に或る決心をした。
彼は、男らしく旦那様の墓の前で、腹掻っさばいて、蛆虫等に、目に物見せてくれようと思ったのである。もちろんその心持の奥には、そうしたら、旦那様も、俺を見損なった奴だとは、お思いなさるまいという、可憐な心持もあったのである。
なぜそれがあったか分らないが、彼は自分の「守り刀」をあずけて置いた、ある士あがりの人の処へ行った。
そして何気なく刀のことを持ち出すと、彼の顔をちらりと見たその人は、軽い調子で、あんなものを、今頃何で思い出したのだ。もうとうの昔に、一円五十銭で売ってしまったよ、と云った。
それから急にいずまいを正して、三郎爺の顔をみつめがら、
「貴様の太い胆っ玉はどうした。山沢さんに済むまいぞ」
と、非常に温情の籠った、けれども厳とした声で云ったのだそうだ。
そのとき、彼は、旦那様がそう云っていなさるような心持がした。そして、急に涙がこぼれ出した。
もう死のうとは思わなくなったかわり、今まで、悄《しお》れきって来た心が、ピーンとするほどの新しい勇気が与えられた。
彼は心から頭を下げた。その人をとおして、彼は旦那様を、拝んだのである。
それから、御馳走になりそれとなく励まされた彼は、帰途に貰った金で、七面鳥を買って背負って来た。
彼の肩はまた、毅然として蛆虫奴等に向って聳やかされたのである。
七面鳥の卵を売ったり、下駄の歯入れをしたりしても、気儘な彼は、十分なだけ金が取れない。今まで要らなかった家賃、税などというものまで取られるので、暮しはだんだん難かしくなって来る。
難かしくなろうがどうなろうが、彼は一向平気で放って置くから、なおひどくなって、婿に食扶持《くいぶち》まで貰わなければならないようになってしまった。
それでも、彼は平気らしいが、今度は婿の方で放っては置かれない。俺の世話になるからには、口を減らすに、役にも立たない女房と別れてくれと、申込んだ。
彼は、「ウン、そうすべ」と、言下に承知した。そして女房にも、身の振
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