いなどは、彼が下駄の真中から割れるような体を、のしのしと運んで、人の三層倍もありそうな眼で、相手をグッと睨まえながら、響き渡る大音声で、彼相当、また同時に相手相応の理窟を並べれば、大抵は雑作もなく片がついてしまう。
 そこで人も重宝がって、何か事がちと面倒になると、彼を迎えに行く。「三郎どん、はあ、またやくてえもねえ奴等がおっぱじめやがった。何とか一言云ってやってはくれめえかな」
 山から切って来た木を挽いている彼は、かなりもったいぶって、応と云いながら立ちあがる。そして、そのごたごたの真中へ行くと先ず悠々と煙草を一服喫ってから五六分の間に、どうにか形をつけて来る。
 自分は生れつき性に合わないで文字は大嫌いだ。だから偉い言葉はちっともしらない。けれども、これもまた生れつきで、曲ったことは、兎《う》の毛で突いたほども黙っていられぬ性分だというような意味のことを、何かにつけて云ったものだそうだ。
 それ故、ある意味に於ては、他律的にも彼は「竹をわったような」男になり、一度頼んだら大丈夫な三郎どんにならなければならない。
 この周囲の状況と、彼の何者にも負かされる心配のない腕力と、天性授けられている大まかな、こせつかない心持ちとが、どうしても彼を侠客のようなものにせずには置かなかった。
 従って、他の百姓、大工とはどこか違った生活が――たとえば、物争いに鳧《けり》がついた祝酒や、振舞や、近所の村のそういう仲間との交際――目に見えなく彼の地味さを失わせて行った。
 金銭のことなどについても、そうは焦慮せず、入るものは入るがいい、出るものなら勝手に出ろといった調子だし、他の者のような追従や世辞は一言も云わない。思ったままを、浮んだなりの言葉で云う。
 それに対して、人があまりかれこれ云わないことが、彼の美点――自分をちっとも被わない。ありのままで暮すすべての心持を助長するとともに、或る一部からの反感を免れなかった。

        六

 もの堅い一方の、大きな声も出せない者から見れば、彼は恐ろしい無遠慮なものである。わがもの顔にふるまう奴に見える。何でもつけつけと、赤面しようが、冷汗をかこうが、お構いなしに真正面から遣り込める。
 けれども、人に嫌われもするそれらの点を、その開墾地の旦那様と云われていた、山沢さんという人が、すっかり見込んでしまった。そして、家が出来上っ
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