と、なぜ烏が来ないのか私は知らない。けれどもそこへ村を作るという噂を聞いたときには、皆が嘲笑せずにはいられなかったほど、荒漠たる処であったのだそうだ。
 ところが案外なことには、彼がまだ、「屋大工」の手伝いのようなことをして、親方の伴をしながらあっちの小屋こっちの隠居所と作って歩いているうちに、あんなに草|蓬々《ぼうぼう》としていた処には、いつともなく目鼻がついて来た。
 そして、年季をしまって家に落着いた頃には、そろそろと移住民も姿を見せるようになり、今では寂寞として全く「狐蘭菊の花に隠れ住」んでいたところには、微かに人間の音が響き始めた。
 時によれば、馬鹿な同胞《きょうだい》ぐらい、親しみのあるものに思われていた「ならずもの」も、だんだん彼等の位置を明かにされ始め、火繩銃の犠牲になったり「落し」に掛ったりして、化かす暇もなく皮を剥がれ、煮て食われるようになって来る。
 他国者が集るので、噂の範囲は広まって、「江戸」での事件などは、わずかずつでも流れ込んで来る。独り三郎のみでなく、村全体の空気が一道の生気を吹き込まれてパッと燃え上ったような、状態になって来たのである。
 すると、彼が二十三のときに、彼の村から七人の新百姓が出ることになった。
 開墾団体から田地をいくらかと、金や材木を供給されて、新しく出来た村へ新しい百姓として家を持たせられるのが、その新百姓なのである。
 若い者は、皆相当に競争もしたのだが、運よく三郎も、その中の一人として「眼きき」された。そして、親達の誇りと、彼自身の自信との間に、実家から、十四五丁ほど隔った開墾地の一郭に、彼はお手のものの普請を始めたのである。
 今も昔も、存外些細なことで、人の名誉心が刺衝されることには変りがなかったものと見えて、数ある若者のうちから新百姓に選ばれたということが、彼の非常な箔《はく》つけになった。今までは、「屋大工の三郎どん」だったのが、何かよぶんな言葉が必要なような心持を、人も持ち、まして彼自身は持たずにはいられない。
 いつとはなしに、彼は村の男達《おとこだて》のような――この「よう」なというのは大切な言葉である――ものに祭りあげられることになった。
 もちろん、彼にしても嬉しくないことはない。むしろ大得意に近い心持で「若けえにゃあ見上げた弁口」を振う機会が次第に多くなった。
 実際その頃の、喧嘩、物争
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