三鞭酒
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)食器棚《サイドボード》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二七年五月〕
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 土曜・日曜でないので、食堂は寧ろがらあきであった。我々のところから斜彼方に、一組英国人の家族が静に食事している。あと二三組隅々に散らばって見えるぎりだ。涼しい夏の夜を白服の給仕が、食器棚《サイドボード》の鏡にメロンが映っている前に、閑散そうに佇んでいる。
「――寂しいわね、ホテルも、これでは」
「――第一、これが」
 友達は、自分の前にある皿を眼で示した。
「ちっとも美味しくありゃしない。――滑稽だな、遙々第一公式で出かけて来て、こんなものを食べさせられるんじゃあ」
「食い辛棒落胆の光景かね」
「いやなひと!」
 三人は、がらんとした広間の空気に遠慮して低く笑った。
「寂しくって、大きな声で笑いも出来ない。いやんなっちゃうな」
「まあそう云わずにいらっしゃい、今に何とかなるだろうから」
 時刻が移るにつれ、人の数は殖えた。が、その晩はどういうものか、ひどくつまらない外国の商人風な男女ばかりであった。
「せめて、視覚でも満足させたいな。これはまあ、どうしたことだ」
「――お互よ、向うでも我々を見てそう云っているに違いないわ」
 陽気になりたい気持がたっぷりなのに、周囲がそれに適せず、妙にこじれそうにさえなった時であった。我々はふと、一人の老人の後について、一対の男女が開け放した入口から食堂に入って来るのを認めた。三人連れかと思ったがそうでもないらしい。老人は、彼等のところからは見えない反対の窓際に一人去った。二人は一寸食堂の中央に立ち澱んで四辺を見廻した後、丁度彼等の真隣りに席をとった。二人とも中年のアメリカ人、やはり商人だということは一目で判ったが、同時に彼等は何となく人の注意――好奇心を牽くところを持っていた。男の方はざらにある、ずんぐりで、年より早く禿が艷と面積とを増したという見かけだ。女は――これも好奇心を呼び起す或る原因だったと云えるが――割に、夜化粧することの好きな外国婦人としては粗末な服装であった。男の小指にはダイアモンドが光っているのに、連の女性は、水色格子木綿の単純な服で、飾花だけぱっと華やかな帽子をつけている。白粉が生毛にとまっているのも見
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