える。まあ金がないというだけの理由でかまわない装をやむなくしている女に思える。連の男が、とびぬけて気品あるのでもないから、彼が、あんなに大切そうに、大仰に、腰をかがめんばかりにして対手を席につけてやらなかったら、我々は、横浜辺の商人夫婦として、簡単に観察を打ち切ってしまっただろう。結婚生活者としては、余り仰山な何かがある。
「――何だろう」
「――そう、夫婦じゃあないわ」
「――そろそろ愉快になって来るかな」
 古典的な礼儀からいえば、これは紳士淑女のすべき会話ではない。然し、寛大な読者諸君は、何故都会人がホテルの食堂へわざわざ出かけて、鑵詰のアスパラガスを食べて来たい心持になるか、ただ食べたいばかりではない。同時に食欲以上旺盛な観察欲というものに支配されているのだということを御承知である。
 計らずその欲求を刺戟するものに出会ったので、我々は尠からず活気づいた。見るともなく見ていると、彼等は輝く禿と派手な帽子の頂とをつき合わせて睦じく献立を選んだ。一礼して去った給仕は、やがて、しゃれた脚立氷容器に三鞭酒《シャンペン》の壜を冷し込んで運んで来た。私は、それを見ると、感じの鋭い小説家ででもありそうに自信をもって、二人の仲間に云った。
「私にはもうちゃんとわかってよ」
「早いな、云って御覧」
「なんなの」
 ――私は、サラドを口に運びながら、もがもがと呟いた。
「恋人たち」
 思わず、嬉しげな好意ある微笑が皆の顔に燦きわたった。ああ、人生はまだまだよいところだ。あのような禿でも、あのように恋愛が出来る!
「何故断言出来るの」
「だって……氷の中のは三鞭酒よ。――十人の中九人まで、若しかすれば十人が十人、細君と夕飯を食べるからって三鞭酒を気張りゃあしないことよ」
 水色格子服の女性は、若い女のように小指をぴんと伸して三鞭酒盞《シャンペン・グラス》を摘みあげた。男も。乾杯《プロウジット》。
 三鞭酒は、気分に於て、我々の卓子《テーブル》にまで配られた。少し晴々し、頻りに談笑するうちに、私は謂わば活動写真的な一場面を見とめた。事実黄金色の軽快なアルコオルが体内に流れ込んだのだから、隣の食卓の一組は食堂に来た時より一層若やぎ恍惚《うっとり》として来たらしい。男は今、つれの婦人のむきだしの腕を絶えず優しく撫でさすりながら、低声に顔をさしよせて何か云っている。婦人は、平静に母親らし
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