いる。
またさきごろは、戦争に最も反対した民主主義者を新しい軍国主義者であるといった言説が新聞に発表された。ファシスト自身をさえおどろかしたこういう実例ばかりでなく、この頃になっては、民主的ということばは、全く独占資本的または隷属的本質とすりかえられはじめている。
一九四六年においてあれほど重大な課題であった新聞、出版、放送の民主化が、今日、どういうめぐりあわせにおかれているだろう。新聞の民主化は一番早く、読売問題をきっかけにして様々の制約のもとにおかれて昨今の大新聞は日本の新聞の独立性を失ってしまった。出版の自由は用紙不足という現実条件を政治的につかまれて、現在、用紙割当の仕事の実質は内閣に移されている。更に、政府は、用紙割当事務庁をつくり、その長官が用紙割当事務に対して独占の権力をもつようにしようとしている。もちろんこの場合にも文化材である用紙割当の公正と民主性がいわれているが、主務大臣の野溝はいちはやく利害関係のある地方新聞に対して、いまにいくらでも紙はまわしてやる、と失言して、問題をおこしている。用紙割当がこのような保守と利慾の権力で官僚統制されるとしたら、日本の民主化のた
前へ
次へ
全12ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング