を、日本の人民はこの第二の時期に学んだのであった。
 しかし、この第二の期間、民主的という言葉はまだその文字の正当な意味で扱われていた。民主化そうとする日本の人民の心と、その民主化を阻もうとする権力的な意志の表現とは、対立するものとして文字の上にもあらわれていた。
 ところが一九四七年の春以来日本民主化の第三の段階に入ってから、とくに、一九四八年に入ってから、猛烈な戦争挑発と並行して、日本の内外で民主的という表現が、そろりそろりとさかだちした意味で使用されはじめた。この新方法は、これまでの日本のむきだしなファシストたちの知慧では及びもつかない巧みさで心理的に準備された。そして、まだしっかりと民主化していない日本の多くの心、受け身に政治への不信を抱いている一般の感情にいつとはなし作用して、反民主的な諸傾向を逆に民主的なものとしてのみ込む習慣をつけようと企てられはじめた。
 すべての職場のひとは、組合の民主化同盟というものの動きかたを知っている。民主化という標語をかかげて、策動しているものは潜伏的なファシストや、侵略戦争に協力した脱落社会主義者たちであることについて知らないひとはなくなって
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