、不信任案をつきつけられている首相が任命して全日本の放送事業が統制されるとしたなら、現在の政府の堕落と思い合わせ日本のラジオの自由と民主化を期待することは不可能である。
すりかえられた民主化が、どういう本体をもっているかは、東宝の問題にも示しつくされた。新社長によって代表されている資本家たちの心にとっては、日本の文化のねうちとか、日本人が日本人のいい映画を作り出してゆきたいと願っている情熱などは、全然よそのことであるらしい。その人々が欲するのは利潤であり、利潤につづく権力である。エロ・グロ、剣劇の興行政策をこれまで日本で最もいい制作をしていた東宝にもちこんで、近代的な社会感覚をもっている従業員たちを追いはらっている渡辺銕蔵が、教員の資格審査委員の一人であるという事実は、見のがされてはならない。手のこんだ日本の民主化の欺瞞の一例である。文化の上で愚民政策をとり、民族の自立的な文化能力をうちこわしつつある人が審査する教員の資格は、どこにめやすがおかれるものだろう。最近民主主義教育者協会に加えられた紛糾の折、東宝社長が都の当局者に教員資格審査委員としての圧力を加えて、反民主的な干渉をしようとしたことはひろく知られている。
日本の人民が自分たちの健康でゆたかな毎日の生活と文化を求めて努力している心は、当然、エロ・グロ映画とともにエロ・グロ出版物の氾濫に反対している。出版綱領実践委員会が、極端なエロ・グロ出版排除の運動に着手したことは、原則としてうなずける。ところが、この健全文化のための大衆活動は、忽ち警戒しなければならない重大な問題に面した。エロ・グロ出版の排除という、誰も非難しようのないいとぐちによって、時事新報が誤って(六月二十日)報道したように、万一その委員会が、刑法改正請願というような逸脱行為に導かれれば、それはとりもなおさず外見は民間の声というファシズムの手のひらで、民主的発言の口をおおってしまうことになる。
こう見てくると、こんにち、わたしたち日本の人民が面している民主化の諸課題の狡猾複雑なファシズムへのすりかえは、おどろくばかりである。ファシズム再興のあらゆる機会は、あらゆる場面で民主的[#「民主的」に傍点]外見によそおわれている。民主的という言葉は国の内外のファシストによって考えられ得る限り、あり得るかぎりの欺瞞性でつかわれているのである。
日本の人
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