彼女はコムソモール・ヤチェイカの委員である。
――全く場合が違う。ね、カーチャ、考えてくれ、僕たちの周囲に君をおいてどんな知的な女がいる? くだらない俗人女《メシチャンカ》か頓智一つ持ち合わせない職場の棒杭かじゃないか! そういう無智な圏境で――カーチャ!
カーチャは腕時計をのぞき、それから放ぽり出されている書類入鞄をひろって、フェージャにわたしながら云った。
――さ! この報告は今夜七時までに書記局へ行ってないじゃならないものよ。……
そして一寸皮肉に笑って、
――「事務は事務ですよ!」
――とてもいい※[#感嘆符二つ、1−8−75]
日本女の後で一つ椅子にかたまってかけている二人のピオニェール少女が顔をほてらして熱心にうなった。フェージャ自身がついさっき、「事務は事務ですよ」と云ったんだ。急に母親が死んで村へかえらなければならない若いコムソモーレツが金の融通を工場委員会へ頼んできたのに、時間が五分過ぎてることを理由にはねつけて、官僚主義を発揮したばかりのところなのだ。
日本女は時計を見た。もう十二時すぎてる。だが演る者も観るものも疲れを知らずユサリともしない。この官僚主義者、新生活の擾乱者の標本が、世界無産婦人デーの夜、トラムによってどう撲滅されるか、息をつめて観ている。
外でモスクワは濡れた春のビードロ玉だ。夜が更けるにつれ益々すべっこくなった。モスクワ大学横の暗い坂をタクシーが一台登ろうとしては辷って逆行していた――が、読者よ、そんなにおそくまで平気で子供をほったらかし無数のソヴェトの母親がクフミンストル※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]・クラブのの広間で、芝居に熱中してると早合点してくれるな。СССРの勤労者クラブは、きっと建物のどっかに「母と子の室」を備えている。そして母が彼女等の芸術的な或は政治的な啓蒙を吸いこんでいる間、それらの母の赤坊は「母と子の室」の小さい白い寝台の上で静かに眠り、かれらの酸素を吸っているのである。
[#地付き]〔一九三一年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「改造」
1931(昭和6)年1月号
※「――」で始まる会話部分は、底本では、折り返し以降も1字下げになっています。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング