ろにあるのは切符ではない一枚の紙っきれで、その紙っきれは絶対にこのクラブの監督を必要とするのである。
 ひどく広い。そこを歩いてゆくとだんだん通路が爪先あがりになっていくみたいだ。一定の方向をむいてあんまり静粛にどっさり並んでいる人間の間をひとりだけ歩いているとそんな気になるのだ。
 白い壁について煌々あたりを輝やかしているいくつもの電燈のカーボン線を震わすような女の声が、マイクロフォンをとおして金属的に反響している。
 ――このようにして、タワーリシチ! 五ヵ年計画はソヴェト鋳鉄生産額を世界第三位に、石炭採掘量において世界第四位に進めるばかりではありません。全ソヴェトの生産に従事する勤労者の平均賃金は五ヵ年計画の終りにおいて七一パーセント増すだろう。国家計画部《ゴスプラン》は……
 樺色の上着の肩で音波を切りながらドンドン歩いて行って監督は赤布で飾られた舞台のすぐ下第一列へ日本女を待たせ、わきの扉の方から椅子をもって来てくれた。
 こんなに遅れて来たのは日本女ひとりである。舞台の赤布をかけた長テーブルの中央に、ニッケル・ベルを前にして、もう相当年配の静かな横顔の女議長がうつむいて何か
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