の老けたヴォロシーロフみたいな黒いトルストフカの男だ。
――この愉快な夜、名誉ある勤労婦人に向って不愉快なことを話すのは不本意であります。しかし、タワーリシチ! ソヴェト五ヵ年計画を完成するために、我々はまだ自己批判すべき多くのものを持っている。今ここに集っている婦人の中にはおそらく数百人の活溌な突撃隊員《ウダールニッツア》があるだろう。数十人の活動的な代表員《デレガートキ》があるであろう。それらの階級的良心ある勤労婦人がプロレタリア革命の意味を真に理解し、偉大な助力をプロレタリア国家に捧げていることは疑いない。我々は工場において、各々の職場において実践のうちに経験しているところであります。(拍手)
ところで、都会はそういう有様だが農村ではどうでありましょうか? 五ヵ年計画において最も重大な役割をもつ集団農場《コルホーズ》の組織について農村婦人がどんな役目を果しているかを見ると、遺憾ながら、百パーセント満足とは云えない。私がこの間田舎へ行ったら、昔なじみの女が出てきて、丁寧に昔風のお辞儀をして云うことには(話の巧いソヴェト員は百姓女のこわいろをつかった。)「タワーリシチ・グレボフ。集団農場《コルホーズ》へ入ると、赤坊もやっぱり牛みたいに共有されるって本当かね?」
ドッと云う満場の笑い。「なおいいじゃねえか!」と云う声がした。又それで笑う。
――ソラ! 諸君はそうやって笑う。だがそれは一部に今なお信ずべからざる事実としてある事実なんだ。又ある村では一致して集団農場に入ることを拒絶した。何故か? 集団農場に入ると女はみんな髪を切らなけりゃならず、夜は大きな大きな一枚の布団があって皆がその下へ入って寝なけりゃならないんだと坊主が話した。それで不幸な農村婦人はすっかりびっくりしちゃった。
聴衆は手を叩く……笑う。笑う。
――諸君! しかし、農村におけるこんな反革命分子の跋扈《ばっこ》および無智は放置すべきだろうか? タワーリシチ! 農村は右傾派がそれを理解したように都会によって搾取さるべき植民地ではない。都会の工業生産と断然結合すべき、社会主義的生産に欠くべからざる工業原料生産の核心なのだ。
拍手! 熱心な拍手。もう聴衆は一人も笑っていない。
日本女は心に一種のおどろきを感じつつあたりの顔々を眺めまわした。どうだ、この気の揃いようは! 演壇に吸いよせられ非常にいきいき反応しつつもう始って三時間近くなるだろう演説をきいてるのは、いわゆる自覚ある労働者、三月八日の女主人、労働婦人及赤ネクタイをつけた彼等の前衛的後継者たちばかりではない。
細い亜麻色のお下髪を小さい背中にたらして、水色縞の粗末なフランネル服を着ている少女はずっと日本女の右隣に坐っている。しずかに行儀よく坐って話をきき、あまり数字ばっかりマイクロフォンから鳴り響いた五ヵ年計画の話の時は右手をフランネル服のポケットにさし入れ何か粒々したものを掌へ、それから口へそっと入れた。
咳がしたくなる。少女は彼女のまだ性別定かならぬ喉笛のむず痒さで演説の邪魔をしてはならないと知ってる。細い手の指をかためて口を押えて用心深くやっている。
この明かに未組織な少女(ピオニェールではない)の伴れは祖母さんだ。生れてから婦人帽というものは頭にのっけずにきた、そして、自分の家の台所でか他人の家の床の上でか手と足とで働きつづけてきたという風な祖母さんだ。両眼を細め、片腕を肱ごと前列の椅子の背へもたせかけ舞台を見つめて話をきいている皺深い横顔の輝きを見てくれ。СССРが凡《およ》そ百三十万のクラブ員の上に投げているこれは光の一片である。
革命第十三年にあるСССРで、組合員千二十八万人をもつ職業組合は、本質に於て社会主義的生産労働力統制、およびプロレタリア文化建設のために働いている。СССРじゅう数千の勤労者クラブは職業組合文化部の仕事だ。もと、クラブは会員組織だった。クラブを持っている工場又はその生産別職業組合に属するものだけ入れた。ところが、それでは一つ不便が起った。ソヴェトはプロレタリアートの国ではあるが、彼等のモスクワは社会主義都市計画によって建てられてはいない。昔々モスクワ大公が金糸の刺繍でガワガワな袍の裾を引きずりながら、髯の長い人民《ナロード》を指揮してこしらえた中世紀的様式の城壁ある市《ゴーロド》だ。現代СССРの勤労者が生産に従事し新しい生活様式をつくりつつある工場、クラブと、住んで、そこで石油コンロを燃しているであろう家とが時によるとモスクワの両端に飛びはなれてる場合がある。家へ帰ってシチ(キャベジ入スープ)を食って、さてまた市のあっちの端まで、たとえば労働者新聞で今朝読み工場では一時間の昼休みに職場委員がそのために集った「生産経済計画《プロフィンプラン》」の演
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