説をききに行く気になるだろうか。
「よき労働はよき休養を必要とする」休養の合理化として、クラブはその所在区の市民をも吸収することになったのである。
だから今夜、クラブ音楽部員は活溌な行進曲を奏し、
一《ラズ》、二《ドゥワ》!
一《ラズ》、二《ドゥワ》!
何々区ピオニェール分隊がどっしり重い金モールの分隊旗を先頭にクフミンストル※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]・クラブの広間を行進して来た。
右、左!
右、左、止れ!
分列。中央から十二三歳のピオニェール少女がつかつかと演壇にのぼった。茶色の演壇上の赤い襟飾り、しまって悧口そうな顔、房々したオカッパ。
――何々区ピオニェール分隊から、世界無産婦人デーへの熱心な挨拶を!
澄んで打つような少女の声だ。続いて全分隊一斉に声を揃えて、
――世界無産婦人デー、万歳※[#感嘆符二つ、1−8−75]
後の方バルコンの下の坐席では我知らず立ち上って大ニコニコで舞台へ向って拍手を送っている一団がある。
ピオニェール分隊が再び行進曲によって去り、区婦人代表員がクラブへ記念品としてレーニンの肖像画を贈呈し終ると、議長が自席で立ち上った。
――タワーリシチ、これで今夜私のところに記名表の来ているだけの演説は終りました。誰かもっと話したい人はありませんか?
数百の聴衆、シーンとしている。二秒ほど経って若い男の声が叫んだ。
――|ない《ニェート》!
つり出されて今度は矢継早にそこここで急いで、
――|ない《ニェート》!
――|ない《ニェート》!
日本女の隣の拇指の太い男は、愉快そうな笑顔だ。同感してるのである。СССР労働青年の気分に。
――では、これから休憩二十五分。すぐ芝居にうつるが賛成ですか。
すごい拍手だ。拍手の音が細そりした老年の婦人議長を舞台の方へふきとばした。
日本女のまわりは完全に陽気な祭のさわぎだ。
――ナターシャ! ナターシャ! 早くこっちへおいでったら。
――ミーチャ、どこ?
――見なかった? あっちへ場所見つけたってさ。
立つ。手招きする。遠くと遠くで何か合図しあってる。
――どいてくれ! ホラ! ホラ!
クラブの監督がこみ合う尻や背中をかきわけてコムソモールに片棒かつがせ長いベンチをかつぎこんできた。
――どこへ?
――ここ、此処!
第一列の前へさらに補助席だ。たちまち、舞台横の開いた扉の辺に幾重にもかたまっていた若い男女がそれに向って雪崩《なだ》れ、素早く腰をおちつけた者が三四人ある。
四十を越した薄色の髪の監督はあわてて手をふりながら遮った。
――タワーリシチ! ここへ坐っちゃいけない。ここへは委員が来るんだ。そのために入れたんだ。
――どんな委員さ!
――本当にここは空けとかなけりゃならないんだ。
――おい。
背広上衣の下へルバーシカを着た一人が仲間をうながした。
――立てよ。
若い男二人は立ってしまったが、日本女のすぐ前へ腰をかけた女はそのままベンチのよりかかりに背中をおっつけて動かず、扉の方へ盛に手招きしている。そっちに、ズボンのポケットへ手を入れた伴れの男がよりかかって立っている。
――どうして? おいでよ、よ!
捲毛のおちている首筋を、よ、よ! と強く動かしつつ呼んでる。男は黙ってイヤイヤしていたが、女があまり云うとベンチのところへきて、低い声で然しきっぱり云った。
――止めろよ、工合がわるいや。
――どうして?
下から男を見上げ、女がまわりによく聞えるような鼻声で云った。
――もし委員がきたらそのときどけばいいじゃないの、折角芝居見るのに!
男は、「ブジョンヌイ行進曲」を口笛に吹き、どっかバルコンの方を見ていたが、やがて、
――お前ここに坐っといで、じゃ。――今日は女の日だから女ならいいだろ!
元の扉のところへ戻ってしまった。女は一寸膨れ、手提袋を出して鏡に自分の顔をうつした。その鏡にはヒビがいっている。
日本女のすぐ後に、小さいピオニェール少女が二人で一つの椅子をかついでやってきた。そして赤い襟飾を並べ、そこへかけ合った。日本女はピオニェールカに訊いた。
――今夜誰が芝居やるの?
――知らないわ。
もう一人の小さい方が、
――トラム。
と答えた。
――どうして知ってるのお前?
これは知らないと云った方のピオニェールカだ。
――張り紙よんだよ……
トラム(劇場労働青年)はモスクワとレニングラードにある純粋に労働者出身の劇団である。団員はみんな若いコムソモールで、共同経済と厳重な規約の下に階級的な集団生活をやっている。そこへ加入するには必ずある一定の期間実際生産労働に従事した者でなければならないのである。レーニングラード・トラムは自身の劇場をもっ
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