んではない誰かの前で抱えている新聞包をあけて、堅くなった蓬餠でも焙《あぶ》りながら、三年会わなかった弟の勇吉が駅で自分を見それて、吃驚《びっくり》したように誰かと思ったと云った話もしたいのであった。故郷というものがひどく近くてまた遠く思える心持もきょうの気持も何だか誰かに話したい。そんなことも話せるようなところはどこだろう。
 停留場の赤い柱の下で桜模様の羽織の袂や裾を風に煽られながら、サイはぼんやり電車を一台やりすごした。

        二

 いく種類もの作業場が棟々に分れていて、石炭殼をしいた道がポプラの並木のある正門からそれぞれの方角に通じている。
 門のところに立っている守衛が、朝入って来る娘の挨拶のしようが悪いと、生意気なと一度でも二度でも礼をやり直させる。そこはそういう気風を寧ろ誇っていた。そして、四月に入ると、女たちが羽織を着て来ることを許さなかった。帯つきに、定められている作業服を着て門を潜らなければならないことになっている。
 広い敷地の、その辺は元何だったのか三四尺ばかり小高く土の盛り上った所があって、青々した雑草まじりにタンポポが咲いたりしている。そこへ腰を
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