あった。
「サイちゃん、もうすんだの?」
「ううん、まだ一月あるの」
ぶらぶら行くと、弓子がサイの作業服の筒袖のたるみをきゅっとひっぱった。
「どうしたの」
眼顔で弓子がさすのを見ると洋品のところでひとかたまりの娘が、この頃流行の髪につける小さい結びリボンを選んでいる。その真中で、綾子が水色っぽい一つを手にとって、
「どれ? いいけど、地味だねえ」
わきに立っている娘の髪の上にもって行って眺めているのであった。中高なのと頬の上のところに黒子が一つあるのとで綾子の派手な顔立ちは人目に立ったし、そんなにしてリボンを選んだりしている動作のうちにも、いつも見られる自分を意識しているポーズがあるのであった。
「こないだ三越でとっても素敵なの見たわ。繻子でね、片方は鼠っぽい銀色、裏は薄桃色で、モダンだったわ、一尺六十八銭よ」
行きすぎて暫くすると弓子が腹立しそうに、
「ふん」
と云った。
「見なさい。ピクニックの話がちょっと出たらもうあれだ」
綾子さん、華宵の女のようだわ、ととりまく娘もあって、サイはそうなのかしらと距離のある心持でいたが、弓子の綾子ぎらいは容赦なかった。向いあって喧嘩するというのではなく、製図板を並べながら互に決して口をきき合わないという形で継続されているのであった。
「けさだってさ、体操のとき、わざわざ直させたりしてさ、何ていけすかないんだろ」
「そうだったかしら」
「どこに眼がついてんのよウ」
ふっと笑えて来たら、おかしさがとまらなくなって、サイは、ああいやだ、いやだ、と手の甲で涙をふきながら肌理《きめ》のこまかい顔を赤くして笑いこけた。
「何なのさ、何がそんなにおかしいのよ」
「だアって」
「気持がわるいわよ、云ってよ」
「御免ね、何だか急におかしくって」
いつか、綾子が鉛筆を床へ落したことがあった。それがころがって隣の弓子の足許へ行った。弓子は勿論ひろってやらない。そこへ伍長の飛田がまわって来て、
「鉛筆がおちてるぞ」
と云った。弓子も綾子もだまりこくって製図板にふさっていると、飛田が、ポマードできっちりとわけている頭をかがめて、それをひろった。
「支給品を粗末に扱っちゃいけない、物資愛護、物資愛護」
そう云いながら鉛筆をあげて、そのあたりを見まわしたとき、今まで知らんふりだった綾子が、
「アラ!」
ルビーの指環をはめた左手をすこし反
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