も其知識を開発せんと欲する所は社会上の経済思想と法律思想と此二者にあり」婦人に経済法律とは異様にきこえるかもしれないが、その思想が皆無であるということこそ社会生活で女の無力である原因中の一大原因である。女には是非この知識がいる。「形容すれば文明女子の懐剣と云うも可なり」といっている福沢諭吉の言葉は、爾来四十余年を経た今日私たちの現実のなかで、はたしてどのように形をとって来ているであろうか。「新日本国には自から新人の在るあり、我輩は此新人を友にして新友と共に事を与にせんと欲する者なれば」と、敢て保守の人々の反対をも予想しつつ、福沢諭吉のこの「新女大学」が出た明治三十二年といえば、西暦一八九九年、まさにキュリー夫妻が彼らの記念すべき物理学校の粗末な実験室で辛苦協力の成果としてラジウムを発見した翌年である。イプセンの「人形の家」が書かれたのは日本の明治十一年であった。そしてモウパッサンの「女の一生」の書かれた一八八三年は明治十六年。トルストイの「クロイツェル・ソナタ」の書かれたのが明治二十年というとき、私たちの心にあるおどろきに似たものが感じられるようではないだろうか。世界に卓越していた婦人
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