かれている。
女が一旦嫁した家を去るなどということはあるまじきことと益軒はいましめながら、天である夫の側からは、自由に「七去」を行えることを認めている。「一には姑に順ざる女は去るべし。二には子なき女は去るべし。是れ妻を娶るは子孫存続のためなれば也。然れども婦人の心正しく行儀能して妬心なくば去ずとも同姓の子を養うべし。或は妾に子あらば妻に子なくとも去に及ばず。三には淫乱なれば去る。四には悋気深ければ去る。五に癩病などの悪き病あらば去る。六に多言にて慎なく物いい過すは親類とも中悪く成り家乱るる物なれば去るべし。七には物を盗む心有るは去る。此七去は皆聖人の教也。」
聖人というのは支那の儒教の聖人のことなのだが、女の生涯は、この七箇条を見たばかりでも、何と息も詰るばかりの有様だろう。嫁、妻として求められているものは絶対の従順と忍耐とであって、最大の恥辱とされている七去の条件にしろ、それらはあくまで夫と舅姑の側の権利としてだけ存在している。舅姑にしたがわざるといっても、六の多言と同様、その標準はいわば相手の気まかせである。どこまでをしたがうとするか、どこからをしたがわざるとするかがまるであい
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