五歳という長寿を保ったこの漢学者の生涯の時期は、日本では、有名な元禄時代の商人興隆時代、文化の華やかな開花の時代、文学の方面では芭蕉、西鶴、近松門左衛門などがさかんな活動をとげた時代と、流れを一つにしている。経済の中心が町人の階級にうつって、これまでは武家の掟で沈黙させられていた人間の種々さまざまの人情が、自然な流露を求めてあらゆる方面に動いた。西鶴の小説などは、よかれあしかれ、そういう時代の世相を描いてまざまざと今日につたえているのだけれども、その自由奔放な時代の感情の半面で、女というものは、どんな風に考えられていたのだろう。
「女大学」十九ヵ条は、先ず女を「女は陰性也、陰は夜にて暗し、故に女は男に比るに愚にて目前なる然るべきことをも知ら」ぬもの、という立て前において、さてそこから順々に女子の心得を書き連ねたものである。「女子は成長して他人の家へ行き姑に仕うるもの、夫に仕うるもの」であるからと、その心得がさとされてあるのだが、「婦人は別に主君なし夫を主人と思い敬い慎みて事うべし。(中略)女は夫を以て天とす返々も夫に逆らいて天の罰を受べからず」、女にとって夫は天とひとしい絶対の関係にお
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