学書を借りているひとも、そのほか何人かの若い女のひとたちが、ひとしくその棚に目をさらすのだが、どの女のひとも、少女という年頃の娘さんでさえ、この「新女大学」と金文字で書かれた一冊の本の表題を眺める視線に、それを「しん、じょ」と読み下そうとして、おやととまどうような表情はなくて、いくつもの若々しい女の目がちらりと、「しんおんなだいがく」と読み下して、格別、自分たちがそういう徳川時代の本の名にそんなに馴らされていることに、新しいおどろきの心を動かされている様子もない。
 私は自分たち女の生活の中にある伝統の力の強さを感じ直させられるような感じがした。そのようにして、大お祖母さんの時代からすらりと「おんなだいがく」と読みならわしてきている本の内容を、おそらく今日こまかに知っているひともないであろう。だが「女大学」の名は決して死んでいまい。何か生きて日本の女の生活のなかに今日も一縷のつながりをもってつたわっている。そのことは感じられるのではないだろうか。
 貝原益軒が、「女大学」と呼ばれて徳川時代ずっと女の道徳の標準となった本をかいたのは宝永七年というから、十八世紀の初頭の頃のことである。八十
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