潔の問題にしろ、女の側からとして説かれている場合には、本質的に何と男の古い持ものを肯定した形で、良人の気持を理解する妻のかしこさとして出されているだろう。ここでは正面から議論する妻の真情は買われていない。おだやかにまとめる、それが女の機智と手腕とされているのだ。けれども、放蕩な良人をもつ妻が、敏捷に良人の気分を察して、今夜は芸者と遊びたいと思っていると見てとれば丸髷に結って純日本風の化粧をする。きょうはバアを恋しがっていると思えばいち早く洋装になって酒をすすめるために、遂にその良人は、酒場へ行っても「バアの酒は馬鹿らしくて高くて、しかも話相手の女は教養がない。チップをおくのがもったいない」と述懐して早々家へ戻るようになったという実例に、「一家の幸福を作ったいい例である。もしその変装夫人にしても、放蕩ずきの亭主に自分の勝手気ままな意志で対していたならば、あるいは既に結婚上の危機に見舞われていたかもしれない」といわれているのを読むとき、若い世代の心には、男女にかかわらず、それが家庭といえるものだろうかという疑問が当然おこると思う。女はそんなにまでして結婚を守らなければならないのだろうか。女
前へ
次へ
全15ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング