「…………」
「知らないの?」
直接それには答えず、順二郎は、若々しく柔い顔の上に、真率な、苦しげな表情を泛べて云った。
「――僕、議論のための議論みたいなの、いやなんだ。めいめいが自分の利口さを見せようとして喋ってるようなのきいてると苦しくなる」
宏子の心にも、この言葉は触れるものをもっていた。どこかでは、宏子自身の或る面について、つかれた感じもあるのであった。しかし――
「それっきりだろうか」
「…………」
「どう思う? それっきりだろうか。そりゃたしかにそういうのもいる。だけれど、本気に自分たちが書くべき新しい歴史というものを考えて努力している者だっている。そうじゃない? もし旧い時代から一歩も出ないで生きるのなら、何のために私たちは子として生れて来たのさ。何処に親より二十年も三十年もあとからこの世に出て来た意味があるのさ。キプリングがダブリン大学へ行ったときね、学生に向って第一に云ったことは、私は君等を嫉妬する。そう、深く嫉む。何故なら君達は、若いから。そう云う言葉を云ったんだって。――本当に未来は我等のものなり、だし、我らは未来のものなり、なんだと思う。だから、妥協しちゃいけない」
やっぱり膝をゆすりながら、順二郎が、
「姉ちゃんは、よく考えている」
と云った。
「よく勉強してる――」
宏子の爽やかな顔に赧みがのぼった。
「勉強じゃないわ。――ただね、私のここんところに」
左の手のひらを宏子はきつく自分の胸に押しあてた。
「何かが在る。それがじっとしていないの。分るだろう?」
姉弟は、さっきと同じ灯の下ではあるが、暗《やみ》と光とが一層濃さを増したように感じられる夜の小部屋の雰囲気の中に、暫く黙ってかけていた。
「――でも私たち三人、何て、面白いんだろう」
人のいい笑顔になりながら宏子がその沈黙を破った。
「達兄さんはああいう人だし――順ちゃん知ってる? 達兄さんにね、いつだったか、兄さんはどんな友達がつき合いいいのってきいたら、そうだね、生活のレベルが同じのがいいなって云っていた。――順ちゃんは順ちゃんで、何しろ天使まがいなんだから、逆さで生まれた私なんかともしかしたらちがうのかもしれないね」
二人は声をあわせて笑った。順二郎は父親の泰造が数年外国暮しをした後に生まれた子であった。瑛子は彼を懐姙したとき、丁度良人が外国から買って帰った聖母
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