子の油絵が気に入って、その絵にあるような男の児を生みたいと朝夕眺めていたという話を、皆は半信半疑に覚えているのであった。

 寄宿へ行ってから、もと宏子の使っていた部屋が仙台の電気会社へ就職して行った達夫の荷物置場になった。今、家じゅうにきまった自分の居場所を持たない宏子は、弟の部屋を出ると、父の書斎へ入って行った。
 柱に女の能面をかけ、隅に陶器をしまった高い飾棚など置いてある室内には、泰造が消して二階へあがった瓦斯ストウブの微かなぬくもりが残っている。父用の文房具が並んだ細長い大卓とは別に、古い大理石のテーブルが屏風のところによせて置かれている。宏子はそこへ陣どった。そして、小型の原稿紙をひろげた。塾では、語学が専門であったから、西洋史なども英語で外国人の女教師が受持った。ところが、その教えかたは昔流儀の暗記一点張りで、内容が貧弱であるのと暗記の努力がばからしいのとで、学生一般から不評判であった。宏子としては、文学が好きで語学の勉強にも入ったのであったが、宣教師の女教師が、語学は地の言葉で出来るというだけで真の教養や感受性をもっていず、而も自分を何か格段のもののように振舞うことに、軽蔑を感じていた。寮でそんな話が栄えた時、はる子が、
「加賀山さん、あんた書いてよ」
と云った。
「『欅』にのせるから」
 原稿紙のまま綴じたそういう名の回覧雑誌のようなものを、特に文学好きの十五六人でこしらえているのであった。電話で、はる子が書くもの、と云ったのはこのことなのである。
 宏子は、スタンドの灯かげで気持をだんだんまとめた。自分の云いたいことが次第にはっきりして来る。それにつれ、一方で、弟の気持、考えかたというようなものが、自分のそれと何処かでひどく違っていること、或は全く別種なものかもしれないという不安なような珍しいような気が益々つよくした。順二郎の部屋を出て来る時、何心なく見たら入口の鴨居の上に紙を貼って、それにMという字の山形をきつく聳え立たせたような字で Meditation と書いてあった。それも宏子の頭にのこった。自分に一つの標語を与え、それで生活をきびしく律して行こうとする気持は、宏子にも理解されるのである。だが Meditation――そんなものは、夏休み前の順二郎の部屋の鴨居には貼られていなかった。
 三枚あまり書いた時、外からそっと書斎の扉をあけた者が
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